「お父さんはゆうれいを待っていた」(木暮正夫)

「お父さんはゆうれいを待っていた」(木暮正夫)

火、水、木、金。そして土曜日の朝も、お父さんはふだんとかわりなく、出勤をつづけています。出勤するふりをして、家を出ています。これほど悲しく、こっけいな話もありません。
(つとめ先が消えてしまったのに、通勤ラッシュにもまれて、うそっこの出勤をするような人間、この中にいるだろうか……)

 平成不況の時代に書かれたもたものではなく、1982年の作品です。失業したお父さんは、新しく東京ハッピー商会という会社に勤めはじめ、資金まで出資していました。ところが会社の責任者が雲隠れしてしまいます。はじめからお父さんはカモにされていたわけです。お父さんはそのことを家族にうち明けることができず、出勤するふりを続けます。失業者という立場でお父さんは都市空間のはざまに迷い込みます。駅で倒れている人を介抱したお父さんは、(あのとき、見て見ないふりをして通りすぐていった人たちのことを、とやかくいえるかな……。(中略)きまった時間に会社にはいらなければならないとしたら、目の前の人がたおれていても、またいで通りすぎていたかもしれない……。)と自問します。都市を生きる人から孤絶してしまったお父さんは、やがて幽霊を見るようになります。
 この作品は都市における孤独だけでなく、家族の中でも孤独も描いています。主人公の少年カツヤは、「家族って、ふしぎね。じぶんが四人いるようなものなんだから。」というお母さんの家族観を理解できません。カツヤの心情はこのように率直に描写されています。

なんとなく、へだたりがあるのです。帰りのおそいお父さんに、なにかあったのではないかと心配するのは、家族であればあたりまえでした。けれど、心配するだけでどうにもできません。待つしかないのです。お父さんの気持ちの中にはいっていくにはどうすればよいのか。カツヤにはわかりません。