「のんカン行進曲」(寺村輝夫)

のんカン行進曲(マーチ) (地平線ブックス)

のんカン行進曲(マーチ) (地平線ブックス)

 こういう作品を読むと、われわれは偉大な作家をうしなっただけでなく、あの時代を知っている語り部もうしなってしまったことに気づかされます。寺村輝夫は1928年生まれ。昭和10年に小学校に入学し、昭和10年代に小学生時代を過ごしたことになります。この作品は主人公のカンロクの昭和10年の小学校入学から5年間の日々が描かれています。もちろんカンロクには寺村自身の姿も投影されているのでしょうが、あくまでフィクションです。しかし昭和10年代の空気は綿密に描かれています。この作品は敗戦を迎えることなく物語が終了してしまいます。敗戦によって世の中の価値観が転倒してしまったというよくある物語を適用していないため、この時代を生きる少年の実態が明確に浮かび上がってきます。
 戦時下の重苦しさと日常生活のぬるさが同時に描かれているため強いリアリティが感じられます。「教え子を殺したくない」と主張した教師が学校を追放されるという重いエピソードの後に、担任がいなくなったためにクラス編成がかわり、主人公が女子クラスに編入していい目にあうという展開を見せるバランス感覚はすばらしいです。
 しかし日常のぬるさは政情の不安定化とカンロクの成長に伴いだんだんうしなわれていきます。それが如実にあらわれているのが、何度か繰り返される校長の講話の場面です。低学年のころのカンロクは校長がありがたい話をしている最中に遊びのことを考えていたりします。しかし最後になると、神国日本にうまれたことのありがたさを語る校長の言葉に感極まって、カンロクは熱狂のあまりぶったおれてしまいます。もはや当時の熱狂はギャグになってしまっています。
 カンロクも徐々に愛国少年になっていき、「朕、思わず屁をたれて、爾臣民くさかろう。お国のためだ、がまんしろ」とつぶやく兄を国賊とののしるようになります。
 ハイライトは陸軍観兵式でカンロクが天皇を見る場面でしょう。群衆の中でこっそり天皇を見る場面はこのように描写されています。

天皇陛下は、まっ白な馬にのっていた。遠くて表情までは見えないが、まん丸のめがねが、キラキラ光っていた。めがねの光りだけが、神さまのように見えた。

 天皇の実体ははっきりとせずレンズのみが印象に残る、非常に興味深い天皇の描き方です。杉浦範茂はこの場面を、鳥居のむこうにめがねを配置したイラストで表現しています。