「魔法使いのチョモチョモ」(寺村輝夫)

魔法使いのチョモチョモ (寺村輝夫の王さまシリーズ)

魔法使いのチョモチョモ (寺村輝夫の王さまシリーズ)

 すばらしい不条理文学です。王さまは子供の魔法使いチョモチョモに魔法をかけられて幽体離脱してしまいます。大臣達は王さまが目を覚まさなくなったので心配し、王さまの体を300度のお湯で煮てみます。すると王さまは赤い王さまになって凶暴化し、大砲でお城を撃ってみたり好き放題に暴れ回ります。最後は魔法で大臣、博士、隊長は消されてしまい、さらにその後破壊されたお城もなにもかももとどおりになります。自分で書いていてなにをいってるんだか全然わけがわかりません。
 この物語で顕著に描かれている不条理は大人と子供である王さまとのすれ違いでしょう。王さまの一日は「かおをあらう時間」「ごはんのまえの体そうの時間」「ごはんのまえの手をあらう時間」「ごはんの時間」「ごはんのあとの休み時間」「しずかに音楽をきく時間」「しっかり勉強する時間」「おやつのまえの手をあらう時間」「おやつの時間」「美しいえをかく時間」「いっしょうけんめい勉強する時間」「ひるごはんのまえの手をあらう時間」「ひるごはんの時間」「なんにもしないで休む時間」「そとへ出てうんどうの時間」「ひるねの時間」……と、綿密にスケジュールを立てられています。ここまで管理されれば反抗したくなるのは当たり前なのですが、大臣達にはそれがわかりません。逃げ出す王さまに手を焼いた大人達は王さまに発信器をつけてさらに管理を強化します。抑圧を強くすれば王さまはますます逃げたくなる、最悪の悪循環にはまってますが、あくまで大臣達の言い分はこうです。

わたしたちは、みんな、王さまをよくしようと思ってやっているんだ。時間をきちんとまもり、いうことをよくきいて、おぎょうぎよく、あたまもよく、からだもよく、りっぱな王さまになってもらいたいと思っているんですよ。

 これでは永久に両者のすれ違いが解消されることはないでしょう。
 しかし大臣達については、方法が正しいかはともかく、王さまをよくしたいという理念は理解できます。その点では魔法使いのチョモチョモの存在はさらに不条理です。チョモチョモが歌う歌が象徴的です。

おもしろいぞ ゆかいだぞ
ぼくは 子どもの 魔法使い
生まれて はじめて にくまれた
魔法使いが にくまれたなら
これで やっとこ 一人まえ
おもしろいぞ ゆかいだぞ

 魔法使いの世界では憎まれることが是とされる。人間の世界で常識とされる倫理をまったく逸脱した存在として描かれています。しかもチョモチョモは魔法使いとして超越的な力を持っている。チョモチョモの気まぐれで世界がめまぐるしい変容を見せるラストはどう解釈したものだか見当もつきません。