「ハリネズミのプルプル 森のサクランボつみ大会」(二宮由紀子)

森のサクランボつみ大会 (ハリネズミのプルプル)

森のサクランボつみ大会 (ハリネズミのプルプル)

 ハリネズミのプルプルのもとにいとこのフルフルがやってきました。2人はもうじき行われるサクランボつみ大会の練習をしようと約束をしていたのです。ところがどうしてそんな展開になってしまうのか。二宮由紀子のやることは全く予想できません。
 この話にはひとつ驚愕すべき設定があります。なんと登場人物全員が記憶障害を抱えているのです。まさに三歩歩けば忘れてしまう状態。フルフルに誘われたプルプルは出かける支度をしようとするそばから目的を忘れてしまい、風呂を沸かしたり食事の準備を始めたりします。フルフルが約束を憶えていたのも手にメモを書いていたからで、手のひらの文字が消えてしまうと約束はすっかりなかったことになってしまいます。あきれたことにハリネズミ全員が大会のことを忘れてしまい、結局タイトルにある「サクランボつみ大会」は開催されることなく物語は幕を閉じてしまいます。
 この世界では約束は守るべきだというわれわれの道徳は通用しません。だって忘れてしまうんだから仕方がない。非常にアナーキーな世界です。
 しかしこの世界の背景にある欠落を考えれば道徳なんかは些末な問題で、かれらがどうやってアイデンティティを保持しているのかという問題の方が気になります。記憶が失われることに関してハリネズミたちはなんの痛痒も感じません。だいたい痛痒があったとしてもそれすらすぐに忘れ去ってしまうのだから救いようがありません。
 そもそもみんなが忘れてしまったことなど初めからなかったも同然で、だとしたらこの世界にはいったい何が残るのでしょうか。
 幼年向けでこんなに難しい話を軽やかに語ってみせるのだから、二宮由紀子という人の力量ははかりしれません。