「チッチゼミ鳴く木の下で」(皿海達哉)

 1976年刊、野間児童文芸推奨作品賞受賞作です。70年代リアリズム児童文学を代表する傑作、もしくは問題作です。
 小学4年生の井上進は学校で行われた郵便ごっこで、校長の息子のために孤立している黒江昌一に手紙を出しました。そこからふたりの静かな交流がはじまります。やがて進は、昌一にチッチゼミの取り方を教えてもらうことになります。本当ははふたりで出かけるつもりだったのですが、その話を聞きつけたクラスメイトたちが参加したいといいだし、不本意ながら予定外の大所帯で山に入ることになります。そして思いがけない破局を迎えることになります。
 だいぶ昔の作品なのでネタをバラしても問題ないとは思いますが、一応反転にしておきます。
 この作品は進が昌一に山火事を起こした責任を押しつけてそのまんまというとんでもなくひどい終わり方をします。事件から時を経た進は当時を思い出してこんな述懐をします。

そんなとき、進は、きまって、どっと泣きたくなってた。
しかし、いつのまにか、進は、それを泣かないですごすつよさのようなものを、身につけていたし、そういう自分に気づくことが、またかなしかった。

 ここで物語は幕を閉じます。進は「つよさ」を得ることによって成長したと解釈できます。しかしそれは罪悪感をごまかすための「つよさ」で、決してほめられたものではありません。進の成長は向日性をもった意味での成長とはいえません。ここで児童文学が持っていたとされる理想主義は徹底的に破壊されています。
 しかしこのような変容を見せたからといって、進が将来大悪党になるということはないでしょう。どこにでもいる無害だけど小ずるい大人になるだけです。現実を生きる人間は決してきれいなだけの存在ではいられません。理想主義を捨て、現実を生きる痛みを児童文学が引き受ける礎を作った意味で、この作品はエポックメイキングな存在です。