「Fragile こわれもの」(石崎洋司 長崎夏海 令丈ヒロ子 花形みつる)

 石崎洋司編集のアンソロジーです。ジャイブのピュアフル・アンソロジーが初出の「Fragile」以外は全て書き下ろしです。あとがきによるとコンセプトは「どーでもいいお話」だそうです。

この本に眠る5つのお話は、どーでもいいお話ばかりです。大人たちからすれば。
どーでもいい少年たちと少女たちが出てきます。
どーでもいいことで、ぶち切れています。
どーでもいいことをやらかして、どーでもいい終わり方をします。大人たちからすれば。
でも、彼らと、わたしたちにとっては、どーでもよくなかったのです。
だから、書きました。(あとがきより引用)

 こういうわかりやすい善と悪の対立構図をつくると反感を招きそうなことくらい石崎洋司もわかっているはずですが、それをあえてやるところに、彼の児童文学作家としての姿勢があらわれているのだと思います。
 石崎洋司の「Fragile」「流星群」、長崎夏海の「忘れ物」は、学校や家庭になじめない子供が別の居場所を求める話です。数学の専門予備校、アルバイト、夜のスケボーと、どれもはたから見れば「どーでもいい」ものですが、当人にとっては重要です。特に「Fragile」の物語を嫌悪する少年と数学を心の支えにする少女の繊細さには胸を突き刺されました。

「数学にストーリーは必要ないです。美しければそれでいいんです。つまらない物語はやめてほしいです。」(p21)

 石崎、長崎のシリアス路線とはうってかわって、令丈ヒロ子花形みつる作品はコメディでした。
 令丈ヒロ子の「あたしの、ボケのお姫様。」は、お笑い芸人志望の少女が80年代アイドルファッションの転校生と漫才コンビを組む物語。奇矯なキャラクターをただのお笑い要員として消費せず、その内面に踏み込もうとしています。
 花形みつるの「アート少女」は、部室を奪われそうになった弱小美術部員が学校を相手にたたかうお話です。学園ものでは王道のシチュエーションですが、彼らが危機に陥った理由が新しいです。背景には公立校への競争原理、成果主義の導入があり、校長はコンクールで賞も取れない美術部をつぶして補習のために部室をつかおうとたくらんでいました。成果を出す(出したように見せる)ためには、成果を出せない生徒を切り捨てるのがいちばん手っ取り早いやり方です。花形みつるには現代が見えています。また、こうした時に真っ先に切り捨てられるのがどんな生徒であるかも的確に見えています。
 令丈、花形作品はコメディタッチで描かれていますが、自分がなぜ疎外されるのか理解できない当事者にとっては笑い事ではありません。両者ともそこはうまくすくい上げています。