「ご家庭でできる手軽な殺人」(那須正幹)

 「ご家庭」と「手軽」と「殺人」をいとも簡単にくっつけるんだから那須正幹は危険な作家です。
 中2の則子はデパートでやくざ風の男に万引きをしたと因縁をつけられます。男は則子の自宅まで押し掛けてきて家族を脅迫します。ところが則子は偶然階段の上から男を突き飛ばしてしまい、男はそのまま死んでしまいます。たまたまその日則子の家を訪れていた父親の友人辻さんが男の死体を処理してくれましたが、今度は男の仲間が則子の家族につきまとってくるようになりました。
 ミステリとしてもよくできているし、突然ある悪意によって包囲され、日常が壊されていくスリリングな展開を楽しめます。しかし、この作品で恐ろしいのは、犯罪に巻き込まれることだけではありません。則子は殺人を犯し、その対処に戦々恐々としながら、同時に憧れの高校生との恋愛を進展させていっていました。殺人という非日常と恋愛という日常を平行して淡々とこなせる人間の心性がおそろしいのです。
 事件が片づいたあと、則子とボーイフレンドの哲司はこんな問答をします。(ネタバレ含む)

則子「こわい……、ですね、あたしって。あんな事件があったのに、知らん顔して先輩とおしゃべりしてたんだから……。先輩たちのやった劇みたい……。仮面をかぶっていたんです。」
哲司「ちがうよ。きみは、自分がほんとうは殺していないと、わかっていたんだと思うよ。」
哲司「人間が人間を殺すというのは、実際はたいへんなことなんだと、ぼくは思う。そりゃあ物語やテレビでは、かんたんに殺人がおこなわれるし、辻や名和みたいな男は平気で人を殺すかもしれないけど、ごくふつうの人間は、よほどのことがないかぎり、人は殺せないんじゃないかな。
ごくふつうの家庭で、手軽に人は殺せないと思うんだ。」

 哲司くんはナイスフォローを入れてくれますが、この見解は楽観的すぎです。ほかの那須作品を考えてもごくごくお手軽に人は殺されてしまいます。特に園児達が幼稚園でお手軽に殺人をしてしまった「六年目のクラス会」なんかを考慮すると、やはりこの見解は甘いと感じます。「ご家庭」で「手軽」に「殺人」ができる、日常と非日常の近さの怖さこそこの作品のテーマなのだと思います。その証拠に、則子はこの哲司の慰めには納得しておらず、それどころかこんなことを考えていたりします。

どうして、思いっきり抱きしめてくれないのかしら。いや、いや、哲司くんのことだ。きっと、いま、ちょっと困った顔をしているにちがいない。
自分自身、ものすごく真剣に悩んでいるくせに、則子は、頭の方すみで、そんな甘酸っぱいことも考えているのである。

 この則子の器用さが怖い。いや、もしかするとこの作品は、那須正幹の一連の女性不信作品群に位置づけるべきなのかもしれません。