「ズッコケ文化祭事件」(那須正幹)

ズッコケ文化祭事件 (新・こども文学館)

ズッコケ文化祭事件 (新・こども文学館)

 三人組は文化祭の劇のために地元の童話作家新谷敬三に脚本を依頼します。ところがもらったシナリオはクラスの連中にめちゃくちゃに書き換えられ、新谷氏に激怒されてしまいます。
 子供たちが自分の力で小学校最後の文化祭を作り上げる様子が楽しいです。また、宅和先生と新谷氏の教育論議、児童文学論議もスリリングで、シリーズの中でも見所がたくさんある作品になっています。しかしなんといってもこの作品の肝は、文化祭が三学期に行われることにあります。
 なぜこの文化祭は三学期に行われるのでしょうか。三学期といえば卒業式という避けようのない行事に教員は忙殺されるはずです。花山第二小学校には中学受験をする児童もたくさんいるので、進路指導も大変なはずです。そのうえ文化祭までこなせとは、ベテランの宅和先生に過労死しろといっているようなものです。学校の都合で三学期に文化祭をするというのはあまりに不自然です。この日程の設定は作者の都合によるものです。ではなぜこの時期に文化祭をすると都合がいいのか。それは、中学校受験組の児童を物語の序盤から排除できるからです。
 中学受験組の児童は普段はクラスの中心人物として振る舞っています。しかし彼らは受験を控えているため、文化祭には乗り気ではありませんでした。その隙をついて三人組らクラスの底辺に位置する児童が行事の主導権を握ろうとしたところにこの作品の痛快さがあります。ただし受験が一段落したら受験組は文化祭に口出しをはじめ、結局いつものメンバーが牛耳ることになってしまいます。一時的にクラスの中心人物を舞台から退場させることによって、6年1組にある種の学級内ヒエラルキーあること、それによるわだかまりや対立がクラス内に存在することが顕在化してしまったことこそ、この作品が「事件」であるゆえんです。その対立がドラマを駆動させており、非常に緊迫感のある作品に仕上がっています。
 誰よりも学問を愛していながら学問に愛されなかった男ハカセの受験組に対するわだかまりが吐露されていることも注目されます。本作はシリーズ中ハカセがもっとも活躍した作品といってもいいでしょう。裏方ながら、誰に指示されるでもなく小道具を工夫し、劇の演出にも重大な提言をしています。彼は文化祭の最大のかげ(あくまでかげでしかありませんが)の功労者といってまったく差し支えありません。作者のハカセに対する愛が感じられます。