「あやうしズッコケ探険隊」(那須正幹)

 モーターボートをいじって漂流してしまった三人組は、どくろのような形をした孤島に漂着します。ハカセが時計や分度器を使って計測したところ、その島は北緯25度、東経136度の太平洋上の孤島だとわかりました。救助は絶望的ですが、三人はテントを張り食料を調達し、いっぱしのサバイバル生活をします。そんなおり、島に思いがけない危険が存在することを知り……。
 「ぼくらは海へ」と同じ1980年に刊行された作品です。児童文学研究者の宮川健郎は「あやうしズッコケ探険隊」の登場についてこのような感慨を漏らしています。

これは、もしかして、『ぼくらは海へ』のつづきではないのか。『あやうしズッコケ探険隊』を読んだ私は、そう思った。『ぼくらは海へ』の「エピローグ」で、雅彰は、海へ出たふたりは、〈どこか南の夢のような島に上陸して、ロビンソン=クルーソーみたいに胸のわくわくするような冒険の日々を送っているのかもしれない。〉と考えるが、ここに描かれているのは、その〈胸のわくわくするような冒険〉ではないか。
(「現代児童文学の語るもの」P127〜P128)

 娯楽読み物として提供されているズッコケシリーズなので、たしかに〈胸のわくわくするような冒険〉は十分に描かれています。特に本作では、ハカセが知ったかぶりをして失敗するボケキャラとして機能しているのがおもしろい。島の位置の計測は思いっきりはずし、最後はライオンは木に登れないという文字通り致命的なウソ知識を披露してしまいます。
 しかし一方でこの作品、シリアスさでも決して「ぼくらは海へ」に引けをとっていません。瀬戸内海の島にライオンが出るというシュールとしかいいようのない暴力が作品世界に侵入し、ひとりの老人の生活を破壊してしまいます。島でひとり暮らしていた彦田源二老人はライオンによって片足と家畜を失い、島での暮らしを放棄せざるを得なくなります。ライオンが島にやってきた理由が、金持ちがペットに飼っていたものを育てきれなくなったから捨てたという、これまた笑うしかないくらい理不尽なものでした。こんな理不尽な理由で生活を奪われてしまうこともあるという、人生のどうしようもなさを残酷に描いています。
 リアリズムの手法で描かれた「ぼくらは海へ」で実現できなかった〈胸のわくわくするような冒険〉の物語をエンターテインメントのズッコケで実現したことは、那須正幹という作家の懐の深さを象徴する出来事だったと思います。しかもそれをただの娯楽作品で終わらせずに、切実なテーマを盛り込んでいます。ズッコケシリーズはすぐれたエンターテインメントであると同時に、いくらでも読者の深読みを許すくらいに深いテーマ性も持っているのです。そりゃ売れるわけだ。