「ダブル・ハート」(令丈ヒロ子)

ダブル・ハート (講談社文庫)

ダブル・ハート (講談社文庫)

ダブル・ハート

ダブル・ハート

 2001年の作品が講談社文庫に落ちました。

由宇が、この十四年の人生の中で、
(わたし、なんか*1、しあわせになれない・ような気がするなあ……)
と思いはじめたのは、いつからだろうか?(p7)

 これが書き出しです。現在エンターテインメントの最前線で活躍している令丈ヒロ子のイメージからすると、このシリアスさは意外に感じられます。しかし彼女はもともとメランコリックな面も持っていて、そこがエンターテインメント作品にも深みを与えています。たとえば「若おかみ」シリーズは幽霊譚ですし、「S力人情商店街」も失われゆくものへの愛をしっとりと描いた作品になっています。
 あまり裕福とはいえない父子家庭の娘ながら、花水木女子学園というちょっとした名門校に通っている中学生の由宇の物語です。通り魔事件に巻き込まれて入院しているときに、由宇の前に自分そっくりの少女が現れました。由宇はその少女のことを生まれてくる前に死んでしまった双子の妹のゆめだと思いますが、少女の説明によれば「あたしは、あんたと同じ人間」だとのこと。少女は由宇と正反対のガラの悪い性格で、由宇は少女につきまとわれて様々なトラブルに巻き込まれることになります。
 物語の早い段階で少女の姿が由宇以外の人物にも見えるという事実を提示し、少女の正体が由宇の妄想あるという落ちを回避しているところに作者の戦略を感じます。
 設定は突飛ですが、作品の主題はごく普通の思春期の少女の心の揺れを描くことです。生まれることのなかった双子の妹の存在を知ってしんみりする一方で、妹がいたら学費が捻出できないので自分は花水木に入学できないことに思い至って、「ゆめが死んでくれて、よかったのかも」と思ってしまう冷酷さもあわせ持つ、由宇はそんな普通の少女です。
 物語の中でもっとも劇的に変化するのは由宇と父親の関係でしょう。客観的に見て由宇の父親は充分及第点を取れている父親です。彼は新しい友人ができて悪い方向に変化してしまったように見える由宇にあれこれ干渉しようとして、結果的に娘との間に溝を作ってしまいます。父親の立場から考えれば彼の行動は全く間違ってはいないのですが、それでも精神的に親離れしようとしている年頃の娘から見ればうっとおしく感じられてしまうのは仕方がありません。この物語は娘が父親を捨てる話とも読み取れます。成長と同時に失ってしまうものがあることの悲しさを情感豊かに描きあげていることがこの作品の魅力になっています。

*1:単行本ではこの冒頭部分は「わたしなんか」となっていましたが、文庫版では「わたし、なんか」と読点が追加されています。読点があるとないとでは意味が全く違ってきますから、この効果の違いを詳細に分析するとおもしろいかもしれません。ちなみに文庫版でも後にこのフレーズがリフレインされる部分では読点が削除されています。