「ルート225」(藤野千夜)

ルート225

ルート225

ルート225 (新潮文庫)

ルート225 (新潮文庫)

 藤野千夜の芥川受賞後初の長編でした。中学生の姉弟が家に帰れなくなる話です。正確にいえば家には帰れたのですが、そこにはいるはずの両親がいなかったのです。外から公衆電話で家にかけると母親がでることもあるのですが、家に帰るとやはり誰もいない。ほかにも死んだはずの同級生のクマノイさんが生きていたり、疎遠になっていたはずの大久保ちゃんとの関係が修復していたり、巨人の高橋由伸が微妙に太っていたりと、不可解な現象が続きます。どうやら姉弟パラレルワールドに迷い込んでしまったのではないかということになり、元の世界へ戻る方法を模索することになります。
 初読時の感想は、釈然としないなあというものでした。いきなり結末をばらしてしまいますが、最終的に姉弟は元の世界に戻ることはなく、それぞれ親戚に引き取られて物語は幕を閉じます。きっとわたしはどこかで艱難辛苦を経てふたりが両親の元へ帰還する物語を期待していたので、釈然としない読後感が残ったのでしょう。しかし二読目で印象が全く変わりました。この作品は物語の大きなうねりよりも、細部を楽しむタイプの作品なのでしょう。たとえば姉の微妙な性格の悪さや冷めた視線など。そうした細部を読み込んでいくことで、この作品の痛切さが伝わってくるようになりました。
 思えばこの作品は物語であることに禁欲的でした。物語のラストは皮肉にも「だからこの話が、こっちの世界の人にちゃんとウケたことはまだ一度もない。」と締められています。傑作なのは姉の友達のマッチョに秘密を打ち明けることについて姉弟で話し合っている場面の姉の台詞です。

「ホント、あれでルックスがよかったらねー。そしたら昨日の段階で全部打ち明けてたかもしれない」
 ダッシュとはいえ、友だちとは思えないひどいことを言うと、ダイゴはよくわからないというふうに首をかしげていた。嘘ばっかり。おまえだって、クマノイさんがフカキョンゴマキみたいだったら、態度は絶対違うくせに。一昨日だって、幽霊だと思いながらも、家に上がってカレーをごちそうになったかもしれない。ずるいなあ、そういうの。そういうことで話が全然違っちゃうんだよなあ、世の中。

 みもふたもない見解にもほどがありますが、容姿みたいなつまらないことで感動的な物語になれるかどうかが決定されてしまうのもまた事実です。
 一方で家族写真のエピソードなど泣かせるところはきっちり泣かせるあたりは憎いです。読めば読むほどよく作り込まれた作品だということが見えてきて舌を巻いてしまいます。いまだに「ルート225」は藤野千夜の代表作のひとつだといって構わないと思います。

ルート225 (シリウスKC)

ルート225 (シリウスKC)

 さて、志村貴子による漫画版です。原作から入った読者としては、姉の微妙な性格の悪さをうまく再現できているところがポイント高いです。
 漫画版で一番光っていたのはマッチョです。原作よりいいヤツ度が五割増ししています。志村貴子はマッチョのかっこよさに気づいてくれましたか。漫画化を志村貴子が担当してくれて本当によかったと思います。
 原作とは異なるラストは、ある意味原作よりも残酷かもしれません。以下結末に触れます。
 漫画版では姉弟が両親の元に戻れるので、一見救いがあるように見えます。でもその両親はもとから姉弟と同じ時間を過ごしてきた両親ではなく、違う世界の人間だったのです。姉が「こっちにいたはずのあたしが 今のあたしと同じようにどこかへとばされたってんなら うちのママたちのところへ行ってればいいなと思う」と願うシーンの痛切さといったらありません。怖いのは、このことによって世界の不確実さが増してしまったことです。原作では姉弟が親戚に引き取られ、語り手である姉が「この話は今のところ、だいたいここで終わる」と物語の終わりを宣言したことでひとまずの安定が得られました。漫画版の終わり方ではこの先もまた同じような災難に巻き込まれる可能性に思い至ってしまい、不安をぬぐえません。