「水のしろたえ」(末吉暁子)

水のしろたえ

水のしろたえ

 羽衣伝説をモチーフにした平安ファンタジーです。都から駿河の国に赴任してきた国守の菅原伊加富は、駿河湾の岬で美しい少女が水浴びしているのを見つけ、松の木にかけられていた水の衣「水のしろたえ」を奪い取ってしまします。水浴びをしていた少女玉藻は「水底の国」の住人で、「水のしろたえ」を奪われたため「水底の国」に帰れなくなり、仕方なく伊加富の妻となりました。やがて玉藻は娘を産みますが、産後の肥立ちが悪くて死亡してしまいます。物語の主人公は娘の真玉です。背中に鱗のついている真玉にはやはり風変わりなところがあって、水辺を好み、水の中にギョイという守り神がいるのだと言い張って周りの大人から否定されていました。
 末吉暁子独自のアレンジは、羽衣の持ち主を天女ではなく水棲人類にしているところにあります。なので、羽衣伝説プラス人魚姫といった趣になっています。水棲生物が出てきたらあっち方面にこじつけるのが自然な流れです。まずは真玉を見守ってきたギョイの風貌を思い出してください。河童とおぼしき彼の両生類めいた顔はまさに「インスマンス面」。ヤツは、「父なるダゴン」と「母なるハイドラ」、そして全ての水棲生物の支配者である「大いなるクトゥルー」を崇拝する「深きものども」に違いありません。*1となると真玉の故郷である「水底の国」とは……。これ以上は恐ろしくてとても書けません。
 さて、物語は伊加富が坂上田村麻呂に従ってエミシ討伐に出かけたところから動き出します。伊加富が敵前逃亡した上に死亡したという知らせが届き、さらに伊加富の屋敷が盗賊の焼き討ちにあって、真玉は住む場所を失ってしまいます。このあと伊加富の死で行方のわからなくなった「水のしろたえ」の探索という使命が真玉に与えられ、平行して高丘親王との淡い恋の物語が語られます。
 水の世界のイメージは美しく、高丘親王との恋も淡いながらもよい感じに盛り上がるので、よくできた作品ではあると思います。それでもなにか釈然としないものが残るのは、やはり元が羽衣伝説だからなのでしょう。野暮を承知でいいますが、あれは天女の側からみればひどい監禁事件でしかありません。この物語では玉藻は「水のしろたえ」を取り返す機会があったのにあえてそうしなかったというエピソードをつくって免罪符にしていますが、それも欺瞞に思えます。監禁されているという異常な状況下での行動が自由意志によるものかどうかは判別しがたく、ストックホルム症候群の可能性も疑われます。要するに羽衣伝説を純愛ものに解釈することに無理があったということです。