「きみといつか行く楽園」(アダム・ラップ)

きみといつか行く楽園

きみといつか行く楽園

 問題作、あるいは傑作です。今後この作品は「ぼくはお城の王様だ」に比肩するトラウマ児童文学として語り継がれていくことになるでしょう。
 主人公は十一歳の少年ブラッキー。彼は母親の恋人のアルから性的虐待を受けます。そしてその噂が学校で広まり、苛烈ないじめを受けることになります。彼は家庭環境にも恵まれておらず、母親は鬱病で姉は薬物依存症、弟は頭がよすぎるがゆえに話が通じない子でした。学校で孤立している少女メアリ・ジェーンと仲良くなるという幸運もありましたが、それをのぞけば彼を巡る状況は悪化する一方で、やがて取り返しのつかない事態に至ってしまいます。
 性的虐待をはじめとする暴力や薬物依存など、取り上げられている材料は陰惨なものばかりですが、それだけなら海外児童文学ではさして珍しくはありません。問題は主人公の言動が不可解なものばかりであるということです。
 まず、ブラッキーは非常にユニークで鋭敏な感性の持ち主あることを確認しておきます。しかしそこを差し引いてもなお彼の言動は不可解なのです。
 たとえば彼が性的虐待の加害者であるアルに対してどんな関心の持ち方をしているかをみてみましょう。彼はアルが死刑になるかどうかという話題に異常にこだわっています。

アルの目玉がハムおばさんの机に転がり落ちるところが、目に浮かぶ。人間の体のなかには気持ちの悪いものがいっぱい入っているから、そうじがたいへんだろうな。鼻水とか、いろんな液体が詰まっているんだから。(p38)

 性的虐待を受けたばかりであるという事情を勘案すれば、もちろんこれをもって彼を異常視するのは早計です。しかし彼の不可解な行動はまだまだ続きます。アルに教わった「キスのやり方」を弟相手に試してみる。工事現場で出会った見知らぬ男性に脈絡無く「ぼくにさわっていいよ」と話しかけてみる。まるで彼は自分から破滅を望んでいるように思えてしまいます。
 おかしいのは言動だけではありません。そもそもブラッキーによる一人称語りが異様なのです。彼の語りは陰惨な現実に対して、あまりにもユーモラス過ぎます。彼は自分の置かれている現状を正しく理解できていないのではないかと疑われてしまいます。現実と乖離した崖っぷちのユーモアに浸っているうちに、読んでいるこちらの感性まで浸食されてしまうような怖さを感じました。
 越えてはならない一線を越えてしまう少年の視点から綴られたこの物語は、大変危険で、なおかつ魅惑的です。現時点で今年の翻訳児童文学の最大の収穫であることは間違いありません。