「夏の階段」(梨屋アリエ)

夏の階段 (teens’ best selections)

夏の階段 (teens’ best selections)

 梨屋アリエはもはや作品の質、量の両面で児童文学界のトップランナーのひとりといって間違いないでしょう。そろそろ賞でも取って箔をつけてもらいたいところです。彼女に関して特筆すべきなのは、とにかく短編がうまいということです。現時点での最高傑作はこの連作短編集「夏の階段」になりましたが、これが出るまではやはり短編集の「プラネタリウム」シリーズが抜きんでていました。
 ピュアフル文庫のピュアフル・アンソロジーに収録された短編四作に書き下ろし一作を加えた連作短編集、地方の進学校巴波川高校に通う五人の高校生の物語です。四作かけて積み上げたものが最後の一作で見事に完成する美しい作品集でした。では一作ずつみていきましょう。

第一話「夏の階段」

 主人公は友達を一人も持たない高校生玉木崇音。「賢いおれは、闇雲に行動するよりも先に結果を頭で考え、その行為の無意味さに気づいてしまう」などなど、発言の端々がすてきに痛々しい少年です。そんな彼がついつい興味を持ってのぼってしまった「純粋階段」で恋を見つけてしまうところから物語は始まります。無意味を芸術として解釈し直したトマソン物件が作品世界の空気のよい象徴になっています。なんやかんや事件を経てすばらしい出会いもありながら、主人公が最後の最後まで斜に構えた姿勢を崩さないのがすがすがしいです。(初出時の感想を一部修正したものです。

第二話「春の電車」

 緑川千映見という少女がうじうじしているだけのお話です。中学校卒業を機に彼氏にふられたことをいつまでも気に病んでいたり、高校生になって急に勉強について行けなくなったことを悩んでいたり、オーケストラ部に入りたいのにひとりで音楽室に入る勇気がなくて、まず一緒に入部する友達をつくろうなどと益体もないことを考えていたり……。とにかくひたすらうじうじうじうじしていてみていられません。しかしこれこそが正しい青春の姿です。

第三話「月の望潮」

 間違って生物部に入部してしまったポエマー(ポエットにあらず)の福田和磨の物語です。彼は頭がよくて他人のことはよくみえているのですが、困ったことに自分のことだけは全然みえていなくて、その落差で笑わせてくれます。彼は第二話の緑川千映見が好きで告白するのですが、なんだかんだで「福田くんって、変態なんだ……」という言葉をもらうことになります。なにひとつ先に進まない閉塞した結末がすばらしかったです。

第四話「雲の規格」

 主人公の河野健治は精子を観察するために生物部に入ったという変態さんです。生物部で精子を観察……このシチュエーションはつい最近みたような気がします。そう、「ビアンカ・オーバースタディ」です。筒井康隆の先を行くとは、梨屋アリエおそるべし。

第五話「雨の屋上」

 さて、いままでの四人の語り手たちはみんな不器用な高校生でした。第一話から第四話までのすべてに登場し最後を締める遠藤珠生はどうでしょうか。彼女は誰にでも分け隔てなく明るく話しかけることができ、五人の縁を結びつけるプリクラを撮ることを発案したりもしていたので、第二話の時点までは社交的で器用に生きている人間にみえました。しかし彼女が不登校だった過去を知る福田和磨が主人公を務める第三話でイメージが大きく変わり、彼女が語り手になる第五話が始まると読者はさらなる衝撃を受けることになります。彼女は前の四人など問題にならないようなすさまじい不器用人間だったのです。
 第五話を読み始めるとすぐに、文章に異様な迫力があることに気づかされます。前の四作が常体で記述されていたのに対し、遠藤珠生だけは敬体で語っているのです。彼女の「ですます調」は高校生には不似合いで異様な印象を与えますが、彼女にとってはそれが自然でした。しかしその話し方が「イイコぶってる」と周囲の反感を買って中学時代にひどいいじめを受け、それ以来学習して話し言葉では「ですます調」を使わないようにするようになりました。彼女はこの時に「ですます調」の他にも自分が常識から外れた行動をしていることを指摘されてそれを直すように努力していたのですが、根本のところでは変わっていなくて、高校生になっても退学するクラスメイトのお別れ会をしようと提案したり、玉木崇音の家族の訃報を知ってクラス中に触れ回ったりと、ずれた行動を繰り返していました。
 ここで他人のことはよくみえている第三話の福田和磨による遠藤珠生評をみてみましょう。

遠藤はデフォルトでいい性格のくせに、他人の感情を察知することに関しては幅の狭い指向性アンテナしか持ってないのだ。だから人として大切な部分がいくつか欠落していて、根がいい奴なだけに、これまたトラブルの原因になっていた。(p127)

 つまり、遠藤珠生も梨屋アリエ作品に多数登場する極端に空気の読めない子のひとりだったのです。しかし遠藤珠生は梨屋アリエ作品の主人公としては珍しい純粋な善人でもありました。彼女の夢は「善き人」になることで、日々夢を実現するために努力しています。不登校時代に通っていたフリースクールで因縁のあった福田和磨の妹の優眞は、直截に遠藤珠生を「天使になるには何かが一本抜けている、ダメ天使」であると評しています。
 空気の読めない遠藤珠生は、失敗を繰り返しながら暗黙のルールを学習していくことしかできません。何かが欠けている人間が「善き人」になることは可能なのか。全く先のみえない道を進む彼女は、殉教者のような美しさを持っているように感じました。