「ガール!ガール!ガールズ!」(宮下恵茉)

ガール!ガール!ガールズ! (teens’best selections)

ガール!ガール!ガールズ! (teens’best selections)

ヤングアダルト小説では、女子の友人関係のしんどさをテーマにした作品は少なくありません。しかしこの作品ほどそのしんどさを絶望的に描いた作品はそうたくさんはないでしょう。
主人公はとりたてて取り柄のない14歳の少女日菜。ある日彼女が学校一の美少年から親しげに声をかけられたことから、女子同士の関係がぎくしゃくしはじめます。学校で居場所を失った彼女が、公園デビューに失敗した母娘(2歳6ヶ月の真彩とその23歳の母。母親は日菜から真彩母としか呼称されない)と関わりを持つことがおおまかなストーリーラインになっていきます。
この作品の特徴は、運命論と男性の排斥にあり、それが作品世界の絶望感を際だたせています。
まず、運命論の方から説明していきましょう。この作品には日菜とその姉の琴梨、二人の母親、そして真彩と真彩母の5人の年代の違う女性が登場します。このうち誰も女同士の関係のしんどさから逃れたものはいません。日菜は物語の終盤に、幼い真彩にこう語りかけます。

ねえ、真彩ちゃん。
笑ってる場合じゃ、ないよ。あんた、これからが大変なんだよ。
この先ずっと、誰かとぶつかって、傷ついて、傷つけて、そんな私の通ってきた道を、あんたもこれから行かなきゃいけないんだよ。
私のずっと先に、おねえちゃんや、真綾母や、ママや、いろんな女の人の背中が見えている。うんざりするくらい、長い長い道。(p215〜p216)

自分のしんどさを後の世代に受け継がせることに何も疑問を持たない日菜の態度は怠惰に見えます。端から見れば、そんなにしんどいなら変えればいい、変えるのが無理ならせめて逃げればいいと正論を言うことはできます。しかし日菜の先を行く女性は、誰一人としてこのしんどさを克服した未来を見せてはくれません。ならば、まだ中学生で視野の狭い彼女がこのしんどさを運命と思い込んで受け入れてしまうことは無理もありません。女子にとっての人間関係のしんどさを避けられない運命のように扱っている点が、作品世界を閉塞したものにしています。
次に、男性の排斥という面からこの作品を見ていきましょう。日菜が女子集団から排除されるきっかけをつくった少年は、実は姉の琴梨に片思いをしていました。物語の中盤、そのことをあっけらかんと話す少年を見て、日菜はこんな感慨を抱きます。

男の子って、不思議。
思ってることが、なんでも顔に出ちゃうんだ。
本当の気持ちを誰にも見られないように必死でかくす女子とは、全然ちがう生きものなんだ。
(p184)

やっぱり、男の子って不思議。
そんな大事なこと、普通は、簡単に他人に言わないんじゃないの?なにもかもが、単純すぎて、力が抜ける。
(p189)

彼女は男子にも感情があることなど想像だにせず、「全然ちがう生きもの」として切り捨てます。「男子は単純」というジェンダーロールの押しつけが男子にとってどんなに抑圧になっているかなんて考えもしません。
もうひとつ、物語の終盤に日菜と琴梨と母親が夜中にアイスを食べながら語り合う場面を見てみましょう。この場面では当然のように父親は出番を与えられません。そして彼女たちは「夜に食べるアイスのおいしさは、女の子にしかわかんないんだから」と、明らかに事実に反した男性を排斥する発言をします。彼女たちはなぜここまでかたくなに男性を排斥するのでしょうか。
ここで思い出してもらいたいのは、やはり女子の友人関係のしんどさをテーマにした山田詠美の作品群です。「蝶々の纏足」では男性と性的関係を持つことで、「風葬の教室」では姉の猥談を聞くことで、少女は学校での閉塞した人間関係から逃れ、新しい世界を開く道筋をつかむことができました(「蝶々の纏足」では結局女子同士の関係から逃れることはできなかったですが)。しかし徹底的に男性を排斥している「ガール!ガール!ガールズ!」の世界では、男性と関係することで新たな世界が開かれる可能性すら閉ざされています。*1
「ガール!ガール!ガールズ!」において、日菜の父親や真彩の父親は一切存在感を持たず、当然彼らが母親を支えている姿は見えません。こんな環境では、日菜に男性になにかを期待せよと求めるのは難しいでしょう。それにしても、味方になるかもしれない人類の半分を無視してしまうのはあまりにもったいなく思います。
以上で確認した通り、運命論と男性の排斥というふたつ要素によって、この作品は女子の世界のしんどさを重苦しく絶望的に描き出すことに成功しています。

*1:山田詠美の作品は性的な成熟を過大に重要視しているように感じるので、彼女の作品のような問題の解決法をわたしが支持しているわけではないことをお断りしておきます。