「千年の時の彼方に」(沢村凜)

千年の時の彼方に (エンタティーン倶楽部)

千年の時の彼方に (エンタティーン倶楽部)

和歌を媒介にして平安時代の少年マコマと現代の子供たちの友情を描いた「千年」シリーズが、全三巻で完結しました。終盤は殺人と疑われる事件が発生したり、マコマが現代に出現した理由にも事件性が疑われたりと、シリアスな展開をみせました。
現代の子供も平安時代の子供もシビアな現実を生きています。現実のシビアさの例として、死があげられます。いつの時代も死は唐突に理不尽に訪れるものです。現代であれば、ライフルで命をねらわれることもありましょう。平安時代のマコマは、呪殺の危険に身をさらされていました。別に命をねらわれていなくても、病気でも事故でも自殺でも、人はあっけなく命を落としてしまいます。しかしどの時代の子供も、そういった現実に懸命に立ち向かっています。
千年という長い時間をこえて人と人がつながることは、大変難しいことのように感じられます。現代を生きる子供と平安時代の子供では背負っている時代がまるで違います。しかしそれ以上に、どの時代を生きる子供も与えられた現実を精一杯生きているという点では共通しています。この共通項があるため、千年の時をこえて子供たちがつながるというフィクションも説得力を持つことができます。だから平成の子供が平安時代のマコマと友達になってもいいですし、昭和の子供が清原諾子(清少納言)とつながっても不思議ではありません。そして、現実を精一杯生きる子供を巧みに描くことに成功したとき、その物語は受け手の深い感動を呼び覚ます力を持つことができます。
さて、お気づきの方もあろうかと思いますが、この文章は本年の邦画界最大級の収穫である「マイマイ新子と千年の魔法」の感想にもなっています。この傑作を劇場でみられるチャンスはもう限られていますので、未見の方はだまされたと思ってぜひ劇場に足を運んでいただきたいと思います。