「床下の小人たち」(メアリー・ノートン)

床下の小人たち (小人の冒険シリーズ 1)

床下の小人たち (小人の冒険シリーズ 1)

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

また悲劇は繰り返されてしまうのか……。ジブリの次の犠牲者がメアリー・ノートンの「床下の小人たち」に決まったようです。やつらはいったいいくつの児童文学を陵辱すれば気が済むのでしょうか。ラヴクラフト原作の「ポニョ」を除いて、ここ10年くらい原作付き作品はほとんど失敗してるじゃないですか。どうせ跡形もなく改変してつまらなくしてしまうのだから、いっそのこと最初から何々が原作だといわないでいてくれれば禍根を残さなくてすむと思うのですけど。
床下の小人たち」は、人間の家の床下に住んでいて、人間のものを黙って拝借することを生業としている「借り暮らし」の小人を巡る物語です。小人たちは人間に隠れて暮らしていたのに、好奇心旺盛な少女アリエッティがおとこのこに見つかってしまったため波乱の運命に翻弄されることになります。
この作品の特筆すべきポイントは、ラスト一行の衝撃とそこへ至るまでの緻密に計算された構成です。
この作品は何重にもひねくれた構造を持っています。まず挙げられるのは語り手の問題です。この作品はメイおばさんがケイトという少女に語って聞かせた話ということになっているのですが、実際の語り手はメイおばさんでもケイトでもない別人です。そしてその語り手の上位には、当然作者のメアリー・ノートンが存在することになります。さらに物語の当事者はメイおばさんではなく、そのおとうと(おとこのこ)です。病気療養のために田舎の家に閉じ込められていたおとうとが小人のアリエッティを発見するのです。しかし、そのおとうとの末路は本編が始まる前にメイおばさんによって明かされてしまいます。彼は「英雄的な戦死」を遂げていて、メイおばさんがケイトに語っている時点ではこの世にはいません。
病気のために幽閉されているおとうとと、人間に見つからないために息を潜めて生きなければならないアリエッティ。似た境遇のふたりの生活が人間の世界と小人の世界の二重構造で語られ、さらにそのふたつが交錯することで物語は動き出します。
ここで、借り暮らしについても少し触れておきましょう。小人たちは、人間は自分たちに奉仕するためにつくられた「どれいの役をする大男」とみなしています。しかしおとうとにいわせるとこうなります。

「おとうとの考えだと、こわがっているんで、そんなにちいさくなってしまったんだっていうわけなのさ。親から子、子から孫へと、だんだんちいさくなって、ますます、身をかくして住むようになったんだね。」(岩波世界児童文学集版p22)

人間任せで一見気楽そうに見える借り暮らしも、見方を変えると暗い面も出てきます。実際小人たちは人間に見つかったらアナグマの巣に移住しなくてはならないと、おびえながら暮らしていました。
さて、アリエッティはそうした抑圧的な環境を嫌っていて、どんな変化でも楽しんでしまいます。おとこのこに見つかった後は彼がいろいろ差し入れをしてくれるようになったので、アリエッティだけでなく他の小人も恩恵にあずかっていました。しかしその後家の大人にも見つかってしまい移住を余儀なくされても、アリエッティはそれを楽しんでしまうのです。
奔放でどこまでも自由を求めるアリエッティは輝かしく見えます。一方の男の子の末路は、冒頭で明かされたとおりです。こうしたふたりの姿に感情移入しながら読んでいると、ラスト一行で読者は地獄を見ることになります。戦死という末路をはじめに明かしておきながら、それよりもさらに強力な爆弾をラスト一行に仕込んでいるのです。再読してあらためてメアリー・ノートンは鬼だと思いました。
そういえば「カラフル」も来年アニメ映画になるそうですね。こっちはちょっと楽しみです。