「最後の七月」(長薗安浩)

最後の七月

最後の七月

リアリズム系の児童文学の世界では、森絵都以降女性作家が躍進していて、現在「女子」をリアルに描ける女性作家の層は非常に厚くなっています。しかしその一方、「男子」をうまく描く男性作家の影が薄くなっていることは否定できません。長薗安浩は久々に登場した「男子」を描ける作家です。彼は今の児童文学界の穴を埋めることのできる救世主になれるのではないかと期待しています。
「最後の七月」は長崎県に住む三人の小学四年生の男子の物語です。町にある大きな自動車工場が閉鎖してしまい大人の働き口がなくなってしまったため、彼らの通っている学校では転校する児童が続出していました。三人組のうちのふたり、永坂安治と田上和彦も七月を最後に転校することになりました。ふたりは残された松浦勇樹へのプレゼントにするため、カブトムシとクワガタムシを十匹ずつ捕まえる計画を立てます。
この昆虫採集が物語の主な筋になるのですが、それを通して見えてくるのはあまりにも頭の悪い「男子の世界」です。永坂は昆虫を捕まえるためにバナナトラップなるものを制作します。ストッキングにバナナを入れて木にくくりつけて虫をおびき出すという代物です。頭悪いでしょう?永坂はトラップ作成の様子を姉に見られ、「そんなもんはいてよその誰かに見られたら、あんた、一生棒にふるからね」と冷たい言葉を投げかけられてしまいます。
やがて彼らの昆虫採集の協力者として、鳥のコスプレをしている鳥男と呼ばれるおじさんが登場します。彼は実は結核療養所の医者で、患者の子供に運動をさせるために一緒に鳥コスプレをして走り回っていました。療養所の子供たちは「ほ〜ほけちんちん、ほ〜ほけちんちん」と唱えながら遊んでいます。すばらしく頭が悪いです。鳥男は職業柄、頭の悪い男子の世界に共存できる存在となっています。
この物語でそうした男子の世界が引き立っているのは、空間と時間の両面に男子の世界に対峙するものが設定されているからです。
空間として立ちふさがるのは、転校先で待ち構えている標準語の世界です。永坂はひそかに長崎方言の通じない標準語の世界に投げ出されることを恐れていて、標準語を使いこなせる姉や母親に距離を感じていました。長崎弁を使い、男子の世界に生きている鳥男も、肝心な場面で標準語を使って永坂とのあいだに壁を作ってしまいます。
もうひとつの時間については説明するまでもありません。歳をとれば当然男子の世界で生きることはできなくなります。永坂と田上より一足先に誕生日を迎える松浦は、十歳になることをこのように説明しています。

そうたい、青春たい。青い春、と書いて、青春たい。青い春をすごすと、男子は、男に変わって、いくけんね。髭が生えて、ちんちんにも、毛がはえて、声も、渋うなって。(p19)

さて、このセリフや上に紹介した筋からわかるように、この作品は明らかに性に対する関心を描いています。物語の終盤では長いものがいろいろ出てきて、フロイト解釈をするまでもなくなにかが連想されます。ただしこの物語に登場するのは、二次性徴以前のちんちんであることに注意する必要があります。そのため性に対する関心も具体性を欠いています。こうした「男子」の性を描き出したことがこの作品の成果です。
長薗安浩は2008年の「あたらしい図鑑」とこの「最後の七月」の二作で、男子の性という取り組む人の少ない難しいテーマに挑みました。このことは正当に評価されるべきだと思います。