「空をとぶ小人たち」(メアリー・ノートン)

空をとぶ小人たち―小人の冒険シリーズ〈4〉 (岩波少年文庫)

空をとぶ小人たち―小人の冒険シリーズ〈4〉 (岩波少年文庫)

ノートンの、『床下の小人たち』から『空をとぶ小人たち」にいたる四冊の物語は、なかなか巧みに、夢想と思索、勤勉と怠惰の価値判定を示しているように思うのだ。
おまえのようなものがいてな、アリエッティ、しきたりなんかかまわずに、いきなり、なにかする。それで、わしら、借り暮しのもんが、すっぱり根だやしになるんだ。おまえには、じぶんのしたことが、わからんのかね。」と言う小人の父親ポッド。
「なんて、しょうのない、わるい子なんだろう。なんだって、また、こんな、なにもかも、やりだしたんだね。いったい、なんで、人間と話なんかしたんだね。」と、頭をかかえこむ母親のホミリー。
床下の小人たち』は、娘のアリエッティが、タブーを破って、人間にみつけられ、少年と話しあったことから、大恐慌をおこす移住と脱出のドラマだが、それをタテ糸とすれば、ヨコ糸は、親と子、現状維持派と冒険派、すなわち世代の問題となるわけである。
「借り暮しの思想」『私の児童文学ノート』(上野瞭 理論社 1970)より

借り暮らしの小人のお話第四作。アリエッティたち一家は、模型の村を造って見世物にしているプラター氏に客寄せ目的で拉致されてしまいます。閉じ込められた一家は、気球を造って脱出を試みます。
このシリーズの魅力は描写が緻密なところにありますが、もちろん第四作でもそれは変わりません。ゴム風船などあり合わせの材料をかき集めて気球を制作する様子、そして完成した気球を操縦する場面、すべてが真に迫っていて臨場感たっぷり。冒険小説の楽しみを贅沢に味わえます。
上に引用したように、上野瞭はこの物語を夢想と思索、勤勉と怠惰の対立のドラマだと読み解いています。危機的状況を意に介さず、「ロンドン画報」に耽溺していた怠惰な夢想家のアリエッティが、気球を造るという現状を打破するアイディアを出したこと。上野瞭はここにこの作品の意義を見出しています。勤勉と対置されることで怠惰な夢想の価値が検証されるという上野瞭の読みで、アリエッティの魅力の秘密は明らかにされます。
四巻の最後には正体不明の語り手が登場し、物語を閉じてしまいます。語り手の問題、小人の実在に関する謎は解けないまま。結局このシリーズは、ひねくれた構造を提示することによって、テクスト内の情報ではことの真偽を判別することは不可能であると最初から明言していたと捉えるのが妥当だと思われます。
さて、借り暮らしの小人の物語はこの第四巻(1961年)で完結したかに思われましたが、21年後の1982年に第五巻「小人たちの新しい家」が発表されました。わたしは四巻で物語は閉じられていると思うので、こちらの感想は省略します。

小人たちの新しい家―小人の冒険シリーズ〈5〉 (岩波少年文庫)

小人たちの新しい家―小人の冒険シリーズ〈5〉 (岩波少年文庫)