「つきのふね」(森絵都)

つきのふね

つきのふね

つきのふね (角川文庫)

つきのふね (角川文庫)

このごろあたしは人間ってものにくたびれてしまって、人間をやってるのにも人間づきあいにも疲れてしまって、なんだかしみじみと、植物がうらやましい。(文庫版p7)

森絵都作品にはある種の寂しさがつきまとっています。なぜなら、彼女の描く子供たちは大きな物語の失効後の世界を生きているからです。かつて宮台真司が「終わりなき日常」と名付けたような気分。この気分を的確にすくい取れたがゆえに、森絵都は90年代を代表する児童文学作家になり得たのです。
この作品の重要な小道具は「ノストラダムスの大予言」です。そして地球の滅亡に備えて全人類を救う宇宙船を建造するという、今となっては嘲笑の的にもならないような大きな物語が展開されます。
主人公は中学生のさくら。彼女は学校で人間関係のトラブルを抱えていて、万引きをきっかけに知り合った青年智さんと過ごす時間を心の拠り所にしていました。この智さんが宇宙船を建造している人物なのですが、大きな物語の失効後を生きているさくらら他の登場人物にはそんな物語を心の底から共有することはできません。彼を取り巻く人々は宇宙船の建造を妄想であると認識しています。
ところがさくらと同学年の少年勝間くんが、妄想にとらわれている彼を救おうと思いがけない行動に出ます。「小学校の屋上に真の友四人が集うと月の船がおりたって人類を救済する」という内容の予言の書かれたた古文書を捏造して彼に提示したのです。予言の内容はあまりにベタで、肝心の予言書も現代語で書かれた稚拙なものでした。しかしそれが稚拙であればあるほど、大きな物語を与えられなかったために自分たちで物語を捏造しなければならない世代の切実な困難が伝わってきます。 
大きな物語を信じられない子供たちにも、それらしい儀式を捏造することはできました。彼女たちは自分の信じていない物語に参加するふりをするというかたちで魂の救済を求めたのです。
大きな物語の失効後にベタな儀式を成立させるために、ベタをネタ化あるいはメタ化する手続きを踏んで見せたところが森絵都の巧妙なところです。と同時に、それがベタであることを自覚しつつもそういったものを拠り所にせずにはいられない人間の弱さを描き出して読者の共感を得ることにも成功しています。