- 作者: 乙一,小松田大全
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/08/06
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 69回
- この商品を含むブログ (15件) を見る
みすぼらしいネズミのイグナートは、小屋に隠れていた少女ナタリアに食べ物を分け与えてもらいます。
「そこの うすぎたないネズミ。このパンを くれてやる。だから めいれいだ こっちにこい」
イグナートは口の悪い尊大な少女と「ともだち」になります。ナタリアは実は王女でしたが、王座を狙う叔父に殺されようとしていました。そのため城から逃げ出して小屋に隠れていたのです。すぐに追っ手の兵隊が現れ、「ともだち」」になったふたりは引き離されています。イグナートはナタリアと再会するために城に向かい、ナタリアを幽閉している牢獄のカギをペンダントにしているネコと死闘を繰り広げることになります。
この話は非常によくできた友情と勇気のおとぎ話なのですが、おとぎ話にしてはいささか過剰なものも混入されています。それは主人公の自意識です。
主人公にして物語の語り手のイグナートは、冒頭にこんなことを言います。
みなさん はじめまして。ぼくは ネズミです。なまえを イグナートといいます。
でも ごめんなさい もうじき ぼくは うごけなく なるだろう。だって たべるものが ここにはないんだから
イグナートは、読者に向かって自分はすぐに死んでしまうから面白い話ができないと謝罪するような、自覚的な語り手なのです。そして、ことあるごとに自分はみすぼらしくてみじめだと自虐して見せ、何も悪いことをしていないのに「ごめんなさい」と謝り続けます。
こうした主人公の過剰な自意識がよいスパイスとなって物語を疾走させています。
もうひとつ、物語を加速させる要素として忘れてならないのは、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の副監督の小松田大全によるイラストです。映画のように仕立てられた構成と躍動感のあるイラストは、絵物語にこれだけのことができるというひとつの到達点を示しています。
当たり前のことですが、テクストの語り手と映像を撮っているカメラマンは別人です。イラストが語り手の自意識を客観的に映したり、語り手の知り得ない情報をカメラの片隅に捉えたりすることで物語を立体化しているところも本作の魅力です。