『鍵の秘密』(古市卓也)

箱入りで700ページ近い、凶器になるサイズの本です。重量感のある児童書って、それだけでワクワクしてしまいますね。
1998年に児童文学ファンタジー大賞の奨励賞を受賞したものに大幅な加筆修正を施した作品です。
冒頭の舞台は地面のぬかるんだ路地の先にある裏庭。マントを羽織った見知らぬ男がそこにある物置小屋の中に入り込みます。主人公の少年ノボルが後を追って中に入ると、男の姿は消え失せていました。しかし、男が残した鍵を使って物置小屋をあけると、そこは異世界につながっていました。
地面のぬかるみが異世界のにおいを印象づける導入部が秀逸です。この後ノボルは、異世界の王家の跡目争いに巻き込まれることになります。
現実と異世界をつなぐ鍵の設定が目を引きます。異世界は現実世界と重ね合わさるように存在していて、現実世界にある扉をその鍵で開くと、そこに重ね合わさっている異世界の場所に出て行くことができます。異世界での主な冒険の舞台となる城は現実世界では学校に対応しています。ノボルは鍵を使って学校にある扉を開け、城のいろいろな場所に侵入し謎を探っていくことになります。異世界への入り口がひとつではないことを利用して、侵入と脱出のパターンに様々な工夫が凝らされています。
大まかな筋は、予言の勇者として異世界に召喚され王家の後継者争いに介入し、ついでに行方不明の父親を捜すというもので、ストーリー上で特に目新しいものはありません。しかし、700ページ近い分量を一気に読ませる力を持つオーソドックスな作品を作り上げたことは評価されるべきです。
ただ、オーソドックスなファンタジーとして見ればいい作品なのですが、児童文学ファンタジー大賞受賞時のコメントを見ると解せないことがあります。受賞コメントを引用します。

これまでにぼくが出会った名作とされるファンタジーには、(解説書などを読んで初めて気づくことも多かったのですが)みなその中心となる不思議な出来事や不思議な世界に、ちゃんと意味や理由がありました。たとえば作者の哲学や信仰に裏打ちされていたり、書かれた時代や状況を反映していたり、あるいは登場人物の心理状態を象徴していたり。そして、たいてい物語の最後には、主人公はいやされ、成長しているのです。きっと、そこまで読みすすんだ子どもたちの心もいやされ、成長するのでしょう。もし、そういうものがファンタジーなのだとしたら――つまり、空想の部分にも、ちやんと現実の世界に根ざす意味や、現実の間題に働きかける機能が求められるのなら――ぼくの書いた物語は、ファンタジーとは別の代物だということになります。ただのお話。ただの思いつき。でたらめ。現実逃避。糸の切れたたこ。
しかし、よくよく考えて思い当たったのは、ぼくはやっぱりそういうものを書きたいのだということでした。扉の向こうにひろがるのは、それだけで完全に独立して存在するもう一つの世界、もうひとつの現実であってほしかったのです。でなければ、何かの魔法を介してこちらの世界とぶつかったとき、カチンという確かな音がしたり、火花が飛んだりしなくなりますから。主人公や読者の子どもたちは、誘われるのではなくて巻きこまれ、導かれるのではなくて迷い、成長したりいやされたりに気づくのは後にして、まずは生きて帰ってくるのです。
「インターネットドーン6号」受賞コメントより

この受賞コメントの志と本作はあまりにもかけ離れています。本作は引用部分の前半にある「名作とされるファンタジー」のよさを持っていますが、そうした理屈の裏付けの強い作品の持つ窮屈さも抱えています。このキャラクターはこういう役割で、主人公はこういう試練を経てこういう風に成長していくという、「意味や理由」が透けて見えてしまっているのが難点です。
後半で述べられている自由さが著者の志であったはずなのに、それが見あたりません。受賞コメントと見比べると、本作は当初の志とは正反対の作品に仕上がってしまったように見えます。児童文学ファンタジー大賞応募時の原稿と比べることはできないので確かなことは言えませんが、元の原稿の方が著者の持ち味が出ている魅力ある作品であったような気がしてなりません。次はぜひ、このコメントの志を実現した作品を見せてもらいたいです。