『あたまをなくしたおとこ』(クレール・H・ビショップ/文 ロバート・マックロスキー/絵)

あたまをなくしたおとこ

あたまをなくしたおとこ

男がある朝目覚めたら、頭が無くなっていたというお話。男はまず畑でとったカボチャやニンジンを頭の代用にしますが、みんなに笑われてしまいます。今度は木を削って頭を作り、それをはめて頭を落としたと思われる祭の会場に出かけました。
「え、虫になっていたのであれば虫の生体機能があるから話はわかるけど、脳髄が無ければどうやって生きてるの?目がないのにものが見えてて口がないのにしゃべれるのはおかしくない?」と小理屈をこねるタイプの読者はこの絵本は向きません。
また、シャミッソーの『影をなくした男』などを引き合いに出して「現代人のアイデンティティの不安がうんぬん」などど小理屈をこねるタイプの読者にも向きません。
この絵本は、ばかばかしい話をただばかばかしい話として楽しめる読者のためのものです。なにしろ落ちで禁じ手が使われてるんだから、うるさい人には見せられませんね。でも、この作品が徹頭徹尾ばかばかしさを貫いていることをきちんと理解して楽しんでいれば、禁じ手とされる落ちもうまく機能していることがわかります。
マックロスキーのイラストも素晴らしく、様々な遊具やうさんくさい見せ物の並んでいる祭の場面はいくら眺めていても飽きません。そして終盤、男の救いの神となる少年が現れます。彼はポケットからぼろきれをたくさん出して男を助けるための道具にするのですが、マックロスキーに描かせるとこのただのぼろきれが燦然と輝く魔法の道具のように見えてしまいます。