『空打ちブルース』(升井純子)

空打ちブルース

空打ちブルース

第51回講談社児童文学新人賞受賞作です。
 まずはこちらのリンクから、季節風のサイトで公開されている受賞のことばをみてください。「ついてないんだ。ぼくら六年三組の担任は、キリコになっちまったのさ」で始まる児童文学が何であるかは説明の必要はないでしょう。この受賞のことばは、子供の語りを仮装する手法で生涯子供の側に立とうとした後藤竜二の志を継承しようという決意表明にみえます。
物語は札幌の四流高校生ケージュンの一人称語りで展開されます。ケージュンは中学時代の先輩で今はチンピラになっているシンジさんに目を付けられていました。古本屋でバイトを始めたケージュンは、シンジさんからレジ打ちの際に金額をごまかす「空打ち」という技を教えられ、いやいや彼の犯罪の片棒を担がされます。
一人称語りという手法が後藤竜二の影響を受けていることは明白ですが、この作品の特徴は頭のよくない子供の語りを仮装しようとしているところにあります。ケージュンの思考力、判断力は家庭の貧困やシンジさんの暴力によって麻痺しています。彼の語りはしばしば思考を放棄し、「ごごごごご GOGOGOGOGO ごうご ごごうご ごごごいぇーご」というようなリズムに流されます。
金原瑞人は選評で、「ただ、設定そのものにリアリティがないかなあ。たとえば、札幌市内の小さな町を鷺宮家が取り仕切っているという設定そのものがありえないだろうし、シンジの傍若無人ぶりも、あまりにばかばかしくて、とても現実にはありえない。」と指摘しています。しかしこれは大人の視点です。むしろこれこそが思考を鈍麻させた子供からみえるリアルであると理解すべきではないでしょうか。ケージュンは明らかな犯罪被害者なのだから警察に助けを求めればいいと、大人の視点でみれば容易に判断できます。でも彼にはその判断ができないということが、本作の語りの実験からあぶり出されるのです。
後藤竜二の志を継ぎ、子供の視点で新たなリアルを捉えようとする升井純子の試みがこれからどう発展していくのか、今後が楽しみです。