『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(梨木香歩)

僕は、そして僕たちはどう生きるか

僕は、そして僕たちはどう生きるか

群れが大きく激しく動く
その一瞬前にも
自分を保っているために

14歳のコペル君が様々な人と問答しながら自らの生き方を思索していく話。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を乗り越えようとする試みは、序文にある「個」と「群れ」の問題を主軸にすることで一定の成果をあげました。
この作品では「群れ」や「普通」が個を押しつぶしてしまう「魂の殺人」の様子が語られています。それはあまりに凄絶で、直視したくなくなるくらいです。しかもそれは学校教育の場という身近な舞台での出来事として語られるので、読者も非当事者ではいられません。10代の読者はきっとこの作品内の出来事を自分に引きよせて思索を深めていけると思います。
興味深いのは、梨木香歩は小説の外側でも実在する大きなものに抵抗して「個」として生きる姿勢を示していることです。彼女は作品内で公然と、出版元である理論社が出した本を批判しています。作品名は伏せていますが、それがバクシーシ山下の『人はみな、ハダカになる。』であることは誰の目にも明らかです。ただし、実在する著作と著者を名前を伏せながらもそれとわかるかたちで取り上げながら、その中に明らかなフィクションを交えて批判するやりかたには疑問を感じます。なのでバクシーシ山下批判については評価を保留しますが、出版社に抗議する姿勢を見せたことには注視する必要があると思います。
梨木香歩が立ち向かっているのは理論社だけではありません。この本の参考文献には心のノートを批判する本が2冊挙げられており、作中でもそうした動きを批判する発言が見られます。ということは、梨木香歩はこの著作によって、師である河合隼雄に反逆したかたちになるのです。
梨木香歩は、場合によっては義理のある出版社や師にまで背を向ける姿勢を見せています。作品の内と外の両面で「個」としての生き方を提示することで、著者の主張の説得力が増しています。