『両手のなかの海』(西田俊也)

両手のなかの海

両手のなかの海

2001年にひこ・田中は、「男の子の物語」の失効を宣言しました。
斎藤美奈子編『男女という制度』に収録されているひこ・田中の論文「冒険物語の中の男の子たち」をみてみましょう。ひこ・田中はまず、伝統的な「男の子の物語」の典型は「冒険・探索・帰還・成長の確認・報酬」であるとしています。しかし、その双六のような物語の「あがり」の部分、「大人の男」になることによって得られる価値や利得がもはや保証されていないことに物語の中の男の子が気づいてしまったために、「男の子の物語」が方向を見失っている様子を報告しています。
男女という制度 (21世紀文学の創造 7)

男女という制度 (21世紀文学の創造 7)

1997年に発表された『両手のなかの海』は、リストラされて失踪していた父親が、母親の長期出張中に女装した姿で息子の元に返ってくる話です。
国立大学を出て一部上場の企業に勤めていた父親は、「男の子の物語」の「あがり」に到達していたはずでした。しかしバブル崩壊のあおりで失職してしまい、その結果「男」であることを放棄してしまいます。
息子の一海は父親をみているので、「大人の男の価値や利得」がまやかしであることに気づいているはずです。ところが一海はかえって「男の子の物語」を内面化してしまい、父親の失敗を繰り返さないように強迫的に受験競争に取り組みます。しかしながら、父親をはじめいろいろな人々との交流を通して、一海は内面化された価値観を解きほぐして多様なものの見方を獲得していくことになります。
というわけでこの作品は、90年代において「男の子の物語」を解体した重要な作品であるということになります。しかし、日本の状況はますます深刻になっています。今の男の子はリストラされる以前に正社員になれないし、結婚もできません。そんな時代に児童文学は子供たちにどんな物語を提供できるのか、「男の子の物語」を解体した先に新しい道を指し示すことができるのか。児童文学には難しい課題が山積しています。