『十方暮の町』(沢村鐵)

十方暮の町 (銀のさじ)

十方暮の町 (銀のさじ)

児童文学ではかつて、「自殺」というテーマはタブーであるとされていました。現在はタブーは崩壊したことになっていますが*1、それでも取り扱いの難しいテーマであることにかわりはありません。この『十方暮の町』は、そんな難しいテーマを現代的な問題意識を持って料理しようとした、希有な意欲作です。
ある町で靴だけを遺して人が消える失踪事件が続発します。それと時を同じくして、町中の公園という公園に不審な人間が居座るようになりました。大道芸人風の男、腹話術の人形を持った男……。事件に興味を持った中3の少年和喜が不審者に接触してみると、いま町は十方暮という不吉な時期に入っていて、鬼が人間を向こう側の世界に引き込もうとしているのだという説明を受けます。そして、自分たちは人々を守るために公園に常駐しているのだというのです。和喜は協力を申し出、怪異の世界に巻き込まれることになります。
ホラー設定をはぎ取ってみると、この作品は自殺者を引き留めるボランティア集団の物語ということになります。靴を置いて人がいなくなる様子が自殺のようであるということは物語の初期の段階で指摘されています。鬼は人間をあちらの世界に誘惑しますが、行くかどうかの決定権は人間の側にあります。本作での怪奇現象が同時多発的な自殺をあらわしていることに疑いの余地はありません。
笠井潔によれば、戦争による想像を絶する大量死の体験が本格ミステリというジャンルを生んだそうです。現在の日本も、年間3万人あまりが自殺するという非現実的な大量死にさらされています。このような異常な状況を語るには、正面からリアリズムで攻めるより、ホラーというジャンルの手法を借りた方が対応しやすいのかもしれません。
自殺が貧困と結びついていることも見逃してはなりません。主要登場人物の3人の子供はみな、深刻な困窮家庭で育っています。主人公の和喜は、姉のように思っている高校生から日常的に返すあてのない借金をしています。このような環境がいかに精神を疲弊させるかは想像に難くありません。実際和喜も鬼に引き込まれそうになります。
そういった厳しい現実に立ち向かうため弱者が連帯するさまが、この物語では描かれています。
ただし、このボランティア集団はコミュニティは持っていますが、経済面での裏付けは全くありません。この状況で善意の活動を続けていると、いずれ手をさしのべようとしている相手と共倒れになってしまうであろうことは目に見えています。破滅的なヒロイズムに陥ってしまいそうな危うさは否定できません。
とはいえ、大量自殺と貧困というきわめて現代的な問題に取り組んだ作品ですから、正統的な社会派児童文学として評価されるべきでしょう。

*1:「日本児童文学」1978年5月号の特集タイトルが「タブーの崩壊――性・自殺・家出・離婚」である。