『お父さんのバイオリン』(ほしおさなえ)

お父さんのバイオリン

お父さんのバイオリン

「日本児童文学」2011年11-12月号の特集は〈音楽の文学〉でした。その中で横川寿美子が、音楽が登場する児童文学の類型を分析していました。
横川は類型のひとつとして、「音楽に熱心に取り組んでいる子どもが登場」し、「音楽活動を通じて何らかの困難に遭遇する」作品群を挙げています。さらに、それらの作品群の共通点が「親の音楽へのこだわり」が「子どもを音楽に向かわせ」ていることであるとし、「親子の葛藤」というテーマが浮かび上がってくることを指摘しています。
この横川評論のタイトルは「才能ある子どもの旋律」となっています。これは、アリス・ミラーの著作『才能ある子のドラマ』から借りているものと思われます。アリス・ミラーは、親の期待がいかに子供を抑圧するかを暴き立てた心理学者です。このタイトルを借りることによって横川は、〈音楽の文学〉が単なる「親子の葛藤」を描いているだけでなく、児童虐待にもなりうるような激しい抑圧を描いていることを告発しているのかもしれません。
ミステリ作家ほしおさなえの初の児童文学作品となる『お父さんのバイオリン』は、まさに横川が整理した類型に当てはまっています。主人公は交通事故でバイオリン奏者の父を亡くした子供で、自らもバイオリンを習っていましたが、父の死のショックでバイオリンを弾けなくなってしまいます。そして、祖母の家に行って*1なんだかんだあってバイオリンを弾けるようになり、父の跡を継ぐ決意をします。ここにあるのは、子供は親の夢を引き継ぐのが当然であるという発想です。
祖母は、父の死をきっかけに死の恐怖におびえる主人公に、「生命にとって大事なのは、命が続いていくこと*2」「親になるとね、子どもが自分の未来だって思うようになるんだよ」とお説教します。
子供は親の夢を継ぐべき、命は続いている、このふたつの考え方が合わせ技になると、そこにあらわれてくるのは子供は親のために存在するという思想です。
祖母は孫に、子供を産んでこの抑圧を無限に再生産せよという指令を暗に与えます。そしてその抑圧は、楽器演奏の技術というかたちで身体に染みついてしまうのです。
こんな抑圧的な話をなぜいま児童文学として発表するのか、全く理解できません。

*1:つまりほしおは、音楽ものだけでなく、子供が田舎に行って癒されるという児童文学のテンプレも使用してるわけです。

*2:ここで祖母は、葉っぱが生えかわることを喩えに出しています。今の小学生で十数年前の流行りものを知っている子は少ないでしょうが、ちょっと露骨ですね。