『公平、いっぱつ逆転!』(福田隆浩)

公平、いっぱつ逆転!

公平、いっぱつ逆転!

小学5年生の少年公平は、転校先の学校でなぜか新しいクラスメイトたちからおびえたまなざしを向けられます。自己紹介のために前に出て教卓を軽く触ったところ、それがまっぷたつに割れてしまい、ますますクラスは騒然とします。実はこれはクラスの委員長の仕込みで、彼は公園に新聞を貼ってけんかの強い転校生が来ると噂を流しており、教卓も割れやすいように細工をしていました。委員長は学校を仕切っているならず者グループを牽制するために、公平を利用しようとしていたのです。公平は否応なく委員長のたくらみに巻き込まれ、ならず者グループと対決することになります。
委員長とならず者グループの知恵比べはスリリングです。弱い公平が運も味方に付けて悪者と戦う様子も愉快で、娯楽読み物として優秀な作品になっています。しかし、ギャグでコーティングされてはいますが、この学校はコーミアの『チョコレート・ウォー』のような暗黒世界として描かれています。
ならず者グループのリーダーは大人の前ではよい子のふりをしていて、児童会長も務めていました。ここで思い出されるのが、『花のズッコケ児童会長』です。悪役が優等生といじめ加害者の二面性を持っている点、それに対抗するために誰かを御輿に乗せて担ぎ上げる点が似ています。
この『花のズッコケ児童会長』と比較すると、『公平、いっぱつ逆転!』の特異性が浮かび上がってきます。『児童会長』でズッコケ三人組は、自らの意思で荒井陽子を御輿に乗せ児童会選挙に出馬させました。そして御輿に乗せられた荒井陽子も、そのことに気づくと自分の意思で御輿から降りる主体性を持っていました。ところが公平の行動には、本人の意思が全然関わってきません。彼は委員長の思いのままに操られる傀儡にすぎません。この主人公には全く主体性が欠如しているのです。
プロデューサーの委員長とプロデュースされるアイドルである公平という関係は最後まで変わらず、ふたりは対等な友情を結べないまま物語は終了してしまいます。
主人公の主体性を完全否定してしまったという意味で、『公平、いっぱつ逆転!』は危険な作品です。