『オオカミがきた』(三田村信行)

理論社より1976年に刊行された連作短編集です。ユキオという名の少年がオオカミに出会う話が6作収録されています。
三田村信行作でイラストが中村宏であるという情報だけで、この本がどういう性質のものなのかは想像できるでしょう。どう考えても組ませてはいけないコンビです。
第1話の「オオカミをみた」は、電車内でユキオが、網棚の上で寝そべっていたオオカミに声をかけられる話です。やがてオオカミは30匹に増殖し、電車内を自由に駆け回ります。
機関車といえば中村宏ですから、当然車内や車窓から見える風景を描くのはお手のものです。いつもの中村作品と違うのは、車内にいるのが一つ目女学生ではなくてオオカミだということですが、このオオカミたちの躍動感がすばらしく、彼らしい異様な空間が作り上げられています。
第2話の「オオカミは走る」は、オオカミが動物園から逃げ出すという内容の絵本をユキオが読む話。第3話の「オオカミに ゆめなし」も、やはり動物園のオオカミが、バクの魔法で故郷の山に戻りライバルのオオカミを決闘する話です。魔法が解けた後にオオカミが舌を噛んで自決するラストが衝撃的です。
第4話「オオカミのいる海」では、人間からすみかを追われたオオカミたちが海と一体化するという、とてつもない奇想が描かれています。
ユキオが教室で見つけたオオカミの着ぐるみをかぶって、無数のオオカミたちと町に飛び出していくのが、第5話の「オオカミ オオカミ」。オオカミたちは重武装した警官隊に囲まれ、次々と銃弾に倒れていきます。
それぞれの短編から、理性と野生、近代と前近代、体制と反体制といった対立の図式を見出すことはできます。しかし、それだけでは作品世界のまがまがしさを説明することはできません。最後の短編「オオカミがきた」に、この恐怖の正体を探るヒントがありそうです。
最終話では、駅までお父さんを迎えに行ったユキオが、お父さんはオオカミと入れ替わっているのではないかという疑念を持つという、カプグラ症候群めいた恐怖が描かれています。人間の存在の不安定さは、三田村作品ではよくみられるテーマです。
父親がオオカミであると確信したユキオは、躊躇なく傘の先端でそれを突き刺します。ここに生存をめぐる闘争の苛烈さがみもふたもなく描かれています。そして、多くの子供たちを絶望させたであろうあのラストにつながっていくのです。何十年も前の作品とはいえ、この結末については口を噤んでおきます。
やはり、生をめぐる根源的な不安を扱っているところに、三田村作品の怖さはあるのでしょう。