- 作者: 草野たき
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/08/23
- メディア: 単行本
- クリック: 17回
- この商品を含むブログを見る
今までの草野たき作品も深刻な人間不信を患っていましたが、この作品ではそれが爆発しています。子供の人間関係が純粋なわけがありません。つきあう人間を自分で選ぶことができないので、幼い子供の人間関係ほど打算にまみれているものです。
ふたりの前に小学生のときに引っ越してしまったもうひとりの幼なじみの圭が現れたところから、物語は動き出します。昔から優しくしてくれていた圭の登場を律子は素直に喜び、また昔のように3人で仲良くしたいと願いますが、琢己の態度がはっきりしません。3人の仲がこじれていくうちに律子は圭や琢己が自分に優しくしていた本当の理由などを知り、自分の周りの人間関係には打算と嫉妬と憎しみしかなかったということを直視せざるを得なくなります。
ここで注意すべきなのは、三角関係の発生によって律子の周囲の人間関係が変化したのではなく、それによって律子の周囲の人間関係はもともと崩壊していたことが可視化されるようになっただけなのだということです。すべては最初から終わっていたのだという現実の残酷さにおののいてしまいます。
この作品の恋愛観もいびつです。律子の「友達」の菜穂*1は、同級生の彼氏がいながら、大学生と浮気をしていました、菜穗は大学生の彼氏の魅力を「触りたい」と思わせることだと語り、同級生にはそれがないのだと言います。律子はその話を聞いて自分は琢己にそういう気持ちを持っていないことに思い至り、「触りたい」と思う気持ちが「本当の恋」であるという菜穗の見解に同調します。つまり、「本当の恋」は性欲でしかないという認識なのです。ヤングアダルト向けとしてはあまりに達観した恋愛観です。
草野たき作品には友達をつくることのできない子供がよく登場します。しかし、この『空中トライアングル』もそうですが、がんばれば本当の友情は手に入れることができるという幻想からは脱却しきれていません。この幻想を捨て去り人間不信を極めたときこそ、草野たき文学はひとつの到達点に達するのではないかと思います。
*1:実は菜穂は彼氏持ちの律子を恋愛相談をする相手として利用しているだけである。