『わたしの恋人』『ぼくの嘘』(藤野恵美)

わたしの恋人

わたしの恋人

2010年に出た『わたしの恋人』は、期待はずれだったので感想は書きませんでした。幸せ家族に育った少年古賀龍樹と崩壊家庭で育った少女森せつなの恋物語で、せつなの方は悲劇の予感しか感じさせない伏線を張りまくるのに、物語はハッピーエンドであっけなく終わってしまいます。短編「走れ、脂身」などで人間の暗黒面を暴き立ててきた藤野恵美の作品としてはあまりにも能天気で、物足りないものでした。しかし、続編『ぼくの嘘』が発表されたあとでは、評価は全く変わってきます。続編のすばらしい人間不信を際だたせるために『わたしの恋人』を一見無邪気な作品として出したのだとすれば、その腹黒さに戦慄を禁じ得ません。
ぼくの嘘

ぼくの嘘

『ぼくの嘘』も『わたしの恋人』と同じく、主人公の男女が交互に語り手を務める形式になっています。主人公のひとりは『わたしの恋人』で龍樹の親友として登場した笹川勇太。冒頭で勇太がせつなに恋をしていたことがわかり、さわやか恋愛小説であった『わたしの恋人』がいきなりひっくり返されてしまいます。
もうひとりの主人公は学校一の美少女の結城あおい。彼女は勇太がせつなのカーディガンをこっそり抱きしめているところを盗撮して弱みを握り、彼を下僕にします。彼女の命令は、恋人役としてダブルデートにつきあうことでした。あおいが熱烈に片思いしている子に〈彼氏〉ができたので、ダブルデートを口実にして接触しようというのが作戦の目的。開始40ページ足らずでスタンダードな恋愛物語からずれていって、先の展開への期待がどんどん高まっていきます。
結局この作品は、自己肯定感の低い人の弱みにつけ込むことが恋愛であるというあまりにもあまりな恋愛観を提示して、ロマンチックラブ・イデオロギーをずたずたに破壊してしまいました。勇太とあおい、そしてせつなの家族が崩壊していることからも、恋愛や結婚という制度に疑義を差し挟もうとする強い意図が感じられます。
さて、主人公のひとりの勇太はアニメオタクであるという設定になっていて、作中にアニメからの引用が目立ちます。たとえばあおいの片思い相手の彼氏は、2011年に大ヒットしたふたつのアニメ作品の悪役の印象的なセリフを髣髴とさせる発言をします。この作品ではその手法を、たんなるアニメファン向けのサービスでは終わらせていません。そういったメタな表現を入れることによって二次元恋愛と三次元恋愛を同じ俎上に載せ、恋愛という制度の欺瞞の検証を試みているのです。