『世界の果ての魔女学校』(石崎洋司)

世界の果ての魔女学校

世界の果ての魔女学校

第50回野間児童文芸賞受賞作。人間の負の感情をここまで深く掘り下げた作品を評価した選考委員の判断に敬意を表します。間違いなく本年のベストです。
4人の不幸な少女が〈世界の果ての魔女学校〉に迷い込み、復讐のすべを与えられる話です。弱いものがさらに弱いものを虐げる中世のような世界を舞台とした陰惨な物語を通して、現代こそがまさに中世であるという認識が披露されます。その意味では、上野瞭のちょんまげものやさねとうあきらの創作民話に近い世界を描いているといえましょう。
ですます調の上品な文体やイラストの下にテキストを入れる手法など、翻訳児童文学を模したつくり、石崎洋司らしい知的さや現代性を持つ一方で、この作品は日本児童文学の伝統を受け継いだ泥臭さも持っているのです。
第1話では、魔法とは『ことば』であるとの認識が登場します。主人公の娘は、常に自分を否定する『ことば』で呪いをかけてきた親に復讐するため、洗礼者名簿の自分の名前を〈Ann〉から〈Un〉に書きかえて、運命を変革しようと試みます。
さて、語り手の娘は洗礼者名簿を書きかえる場面で、「『嘘』の字から『口』がとれて、あたしのことばたちは虚構になるのだ」という言葉遊びをします。ここが石崎洋司の芸の細かいところ。漢字を知るはずのない娘に漢字の言葉遊びをさせることで、この物語は虚構でしかないことを暴き立てているのです。
第4話は、いかさまのくじで生け贄に選ばれた娘が、魔女になって復讐にくる話です。エピグラフにクリスティを引用することで、いかさまのトリックを暗示しているところが、また芸が細かいです。
娘は結局、自分を虐げた人々もまた不幸であったことを知り、復讐を断念します。結末の部分を引用します。

わたしは魔女で、魔女学校に行くしかないのだとしても、『世界の果ての魔女学校』にはもどりません。だったら、『世界の果ての果ての魔女学校』に行けばいい。そこがだめなら、『世界の果ての果ての果ての魔女学校』に行けばいい。
だれにだってあるんです、それぞれにぴったりの場所が。
どこかに必ずある。みつかるまでさがせばいいんです。
それだけのことなんです。

これを、憎しみを克服して希望を見出したハッピーエンドであるととることもできるでしょう。しかし、はてしない居場所探しの牢獄に囚われてしまったと読むこともできます。