『子どもの王様』(殊能将之)

子どもの王様 (ミステリーランド)

子どもの王様 (ミステリーランド)

子どもの王様 (講談社ノベルス)

子どもの王様 (講談社ノベルス)

考えてみれば、ミステリーランドが始まってからもう10年もの年月が過ぎていたのでした。このなかで、本格ミステリとしての魅力という観点でのベストは、倉知淳の『ほうかご探偵隊』になるでしょう。怪奇趣味と合理性を兼ね備えた通俗娯楽という点では、二階堂黎人の『カーの復讐』あたりが高得点になります。では、ミステリーランドのなかで児童文学として読み継がれるべき作品はどれか。それは間違いなく殊能将之の『子どもの王様』です。
『子どもの王様』は、カエデが丘団地に住む小学生の物語です。主人公のショウタには、不登校傾向の親友トモヤがいて、彼から不思議なつくり話をよく聞かされていました。トモヤは「カエデが丘団地の外にはなにもない」という独我論のめばえような説を唱えたり、団地に住む老婆が魔女であると主張したりしています。そんなトモヤが語った新しいホラは、子供を捕まえて召使いにするという〈子どもの王様〉の話でした。

平手で殴ったりするんだ。床に倒れたら、上から頭を蹴りつけられるんだ。煙草の火を手の甲に押しつけられるんだ。それで子どもの王様はげらげら笑ってる。顔を赤くして。(p17)

やけに具体性のある描写から、読者にはすぐに〈子どもの王様〉の正体の予想はつくようになっています。やがて〈子どもの王様〉は実際に団地に出没するようになり、ショウタはトモヤを守るために〈子どもの王様〉と対決することになります。
『子どもの王様』のすごさは、子供の世界のリアルを多層的に描いている点にあります。トモヤの語る、頭のいい子供の空想の世界もひとつの現実です。また、友達のために命がけで悪者と戦う正義感もそう。一方で、そんな正義感を持つショウタが、体の大きい同級生の理不尽な暴力に対してはやり過ごすことしかできず、むしろ彼と遊ぶ時間を好ましくも思っているという複雑さも、現実の重さを表しています。

東の悪い魔女はその暴虐なふるまいに傷を負い、西の良い魔女は不吉な予言を残して、見知らぬ遠い土地に旅立ってしまった。機知あふれる少年が描きかえた地図も、模造紙で隠された。(p172)

空想の世界と現実が混濁してしまうのもこの作品の特徴です。空想と現実、正義と悪といった対立構図はこの作品内では無効化され、すべてがとけあった混沌とした世界が提示されています。これこそが児童文学のリアルです。
ショウタは母親から何度も「大人になったらなにになる?」という問いを投げかけられます。その問いに対してショウタはある最終解答にたどり着きます。ここで、大人と子供という対立すら無意味なものにされてしまいます。こうした子供観、大人観を提示したことも、児童文学としてのこの作品の大きな功績です。