『およぐひと』(長谷川集平)

およぐひと (エルくらぶ)

およぐひと (エルくらぶ)

カメラを持った男が、スーツ姿で川を泳いでいる男を目撃します。泳ぐ男は、「うちが あっちなもんですから。はやく かえりたいのです」と言って、そのまま透き通って消えてしまいます。また、カメラを持った男は、電車で赤ん坊を抱いた女と出会います。女は、赤ん坊を連れてできるだけ遠くに逃げるのだと言います。そして、向かい合わせの座席に座ったまま女は遠ざかっていって(この画面の距離感の表現がなんともいえない)、消えてしまいます。
語り得ないことをどうやって語ればいいのか。この作品は、語り得ないことを語らない節度を持っていながら、同時に饒舌でもあります。真実は個々の体験の総体のなかにしか見出すことはできません。でもこの作品は、簡潔で力強い表現で語り得ない真実に迫ろうとしています。これこそが芸術の力です。
赤と青の色彩が印象に残る本です。赤い空と青い川と青い空、赤い輪郭線と青い輪郭線。男とその娘が過ごす青い日常の世界は、結局は赤い世界に包囲されています。これが長谷川集平のとらえた世界の現実なのでしょう。