『あっちの豚 こっちの豚』(佐野洋子)

あっちの豚こっちの豚

あっちの豚こっちの豚

「しかし、幸せというやつは、ひととおなじことをやっていないといけませんからな。こつはこれだけです。このかんたんなことをやるのがまた、なかなかたいへんですが、幸せってそういうもんですからな。はっはっはっ」

佐野洋子による動物寓話。1987年に息子の広瀬弦のイラストで小峰書店から刊行されました。そして昨年、死後発見された佐野自身によるイラストを付けて、小学館から再刊行されました。SF要素のある動物寓話という内容から小沢正作品が髣髴とされるので、脳内で井上洋介の絵を当てはめてみてもおもしろいかもしれません。

豚は、ひとりで林の入り口にすんでいました。
豚だから、豚は豚小屋にすんでいます。

この短い冒頭の文章で、豚という言葉が4回も繰り返されています。豚という言葉の強烈さが、これだけの文章に鮮烈なポエジーを与えています。
この豚、食って寝て、泥に転がって「ブッブッブッ」と笑うだけの怠惰な生活を送っていました。ところが、いつの間にかまわりの林が切り開かれて文明化されてしまいます。豚は存在自体が青少年に有害であるとされて、妻と子供をあてがわれ虚偽の経歴も与えられて、文明的な生活を強要されます。
結局豚は文明的な生活に耐えられず豚小屋に逃走します。嘘の家族にはじぶんとそっくりの豚がお父さんとして入り込んでいました。それをみた豚は「こっちのおれはにげてきたのに、あっちのおれは『幸せ』をやっているんだ」とつぶやいて豚小屋に帰っていきます。
自分の存在の不安定さへの恐怖を描きつつ、文明や画一的な生き方への鋭い批判を両立させています。泥にまみれてブッブッしてるだけなのに、豚としての生き方を貫いた主人公がかっこよく見えてしまうのが不思議です。