『かめくんのこと』(北野勇作)

アパートに住んでいる二足歩行のカメが商店街でリンゴを買って、あまつさえ自分で果物ナイフを使って皮をむいて食べる話です。
以上でこの話の魅力は伝わったと思うので、以下蛇足です。
日本SF作家クラブ創立50周年の企画「21世紀空想科学小説」の第1回配本の1冊です。SF作家が子供のために書き下ろす叢書は、90年前後の「ペップ21世紀ライブラリー」以来ではないでしょうか。福音館書店の「ボクラノSF」の書き下ろしは1作のみで途絶してしまったので、今度こそ児童書SF復興の起爆剤になってもらいたいと、切に願います。
ヤモリイサオとハマノヨウコは、団地の跡地の裂け目にはまっていた二足歩行のカメ、「かめくん」としか呼びようのないものを助けます。その翌日、ふたりはかめくんに導かれて地下世界を旅することになります。
静止した商店街を抜けて、滑り台を降りてさらにその地下に行き、かめくんからリンゴをふるまわれ、カメとザリガニの戦いを目撃し……。北野勇作らしい、奇妙で気の抜けた世界が展開されます。
作品世界をおおっているのは、寂寥感と世界の不確実さに対する不安です。

どこで何が起きていて、どんなふうに進んでいくのかどれが本当でどれが正しいのか。そんなことはわからない。
だって、その人にとっては、それが自分の世界なんだから。
そんなふうにして、見る人の数だけ世界があるんじゃないだろうか。
だとしたら、ぼくの世界は――。
いったいどんな世界なんだろう?
これから、どうなっていくんだろう(p223)

幾重にも奇妙な世界の移動を繰り返し、どこをどうやって帰ってきたのやら。帰った先は本当に元の世界なのか。穴に落ちての冒険といえば『不思議の国のアリス』ですが、カメに導かれてとなると、日本の古典SFも思い出されます。かめくんとの冒険が本当だったのか夢だったのか判然とさせず、もしかしたら世界は取り返しのつかないくらい変わってしまったのではないかというほのめかしがなされているラストは、感受性の鋭い子供が読んだらトラウマになりそうです。
主人公のヤモリイサオは、「百聞は一見にしかず」という言葉をよく使います。しかしこの言葉を使えば使うほど世界の不確実さが強調され、不安が広がっていきます。この作品は学校の先生から「本当にあったことを自由に書きなさい」といわれてイサオが書いた手記であるという設定になっています。書き留めておくという行為は、世界の不安定さに対するイサオのささやかな抵抗なのでしょう。確実にいえることは、「かめくんはかめくんである」ということだけです。