『マジックアウト3 レヴォルーション』(佐藤まどか)

マジックアウト〈3〉レヴォルーション

マジックアウト〈3〉レヴォルーション

サンデル教授の白熱教室ブームでここ数年のあいだに、「トロッコ問題」という倫理学の思考実験が有名になりました。暴走するトロッコの前の線路上に5人の作業員がいる。右側には待避線があり、そこには作業員が1人いる。線路の切りかえスイッチを持っている者はどうすべきなのかという問題です。哲学者の森岡正博はこの問題の前提について、次のような疑問を投げかけています。

「トロッコ問題」において真に問題なのは、我々が線路を切りかえるスイッチを手にしているというその特権性にサンデル教授も気がついていないということです。世界中から集まったエリート学生に対してサンデル教授は、スイッチを切りかえるかどうかを訊くわけですが、そこでは、自分が作業員として線路の上で働いているという可能性がまったく想像されていない。「ハーバード白熱教室」に登場する学生はみんな、自分の手で他人の人生を左右することができる特権的な立場に将来なるような人たちなのです。そこが欺瞞の最たるものだと思う。
森岡正博山折哲雄共著『救いとは何か』(筑摩選書・2012)p199より

わたしが『マジックアウト』に抱いた違和感もこれに似ています。
才術と呼ばれる生まれ持った魔法のような力の強弱で厳密な階級制度が作られているエテルリアという国で、才術が消滅するマジックアウトという現象が起きます。第2部のラストで、マジックアウトを終わらせる手段を得て帰国した主人公のアニアは、今まで才術の力が弱いばかりに抑圧されていた下層階級の人々が蜂起したことを知ります。
自分の力を使えば争いを終わらせ、争いで傷ついた人々を治療することもできると知りながら、このままマジックアウトを終わらせれば階級制度が温存されて国を改革する機会を失ってしまうということも気がかりで、アニアは思い悩みます。
アニアは有力者の父親に庇護されているので、戦火の見えない安全な場所で思考に耽ることができます。まるで白熱教室の学生のように。
一方、作業員にあたる下層階級の人々はどのように描かれているのでしょうか。実は不自然なことに、暴動が起きているというのに下層階級の人々にはまったくスポットライトが当たらないのです。名前を持った下層民はまったく登場せず、自らの思いを述べることもありません。この作品で下層階級の人々は、血肉を備え人格を持った人間として扱われていません。特権階級の気まぐれでいかようにも運命をもてあそばれる論理ゲームの駒でしかないのです。
社会派児童文学は、一部の特権階級だけのものではないはずです。『マジックアウト』は、視点の置き所があまりにも偏っています。