- 作者: 佐藤まどか,丹地陽子
- 出版社/メーカー: フレーベル館
- 発売日: 2013/06/01
- メディア: 単行本
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「トロッコ問題」において真に問題なのは、我々が線路を切りかえるスイッチを手にしているというその特権性にサンデル教授も気がついていないということです。世界中から集まったエリート学生に対してサンデル教授は、スイッチを切りかえるかどうかを訊くわけですが、そこでは、自分が作業員として線路の上で働いているという可能性がまったく想像されていない。「ハーバード白熱教室」に登場する学生はみんな、自分の手で他人の人生を左右することができる特権的な立場に将来なるような人たちなのです。そこが欺瞞の最たるものだと思う。
森岡正博・山折哲雄共著『救いとは何か』(筑摩選書・2012)p199より
わたしが『マジックアウト』に抱いた違和感もこれに似ています。
才術と呼ばれる生まれ持った魔法のような力の強弱で厳密な階級制度が作られているエテルリアという国で、才術が消滅するマジックアウトという現象が起きます。第2部のラストで、マジックアウトを終わらせる手段を得て帰国した主人公のアニアは、今まで才術の力が弱いばかりに抑圧されていた下層階級の人々が蜂起したことを知ります。
自分の力を使えば争いを終わらせ、争いで傷ついた人々を治療することもできると知りながら、このままマジックアウトを終わらせれば階級制度が温存されて国を改革する機会を失ってしまうということも気がかりで、アニアは思い悩みます。
アニアは有力者の父親に庇護されているので、戦火の見えない安全な場所で思考に耽ることができます。まるで白熱教室の学生のように。
一方、作業員にあたる下層階級の人々はどのように描かれているのでしょうか。実は不自然なことに、暴動が起きているというのに下層階級の人々にはまったくスポットライトが当たらないのです。名前を持った下層民はまったく登場せず、自らの思いを述べることもありません。この作品で下層階級の人々は、血肉を備え人格を持った人間として扱われていません。特権階級の気まぐれでいかようにも運命をもてあそばれる論理ゲームの駒でしかないのです。
社会派児童文学は、一部の特権階級だけのものではないはずです。『マジックアウト』は、視点の置き所があまりにも偏っています。