『3人のパパとぼくたちの夏』(井上林子)

3人のパパとぼくたちの夏 (文学の扉)

3人のパパとぼくたちの夏 (文学の扉)

児童文学で夏休みの定番イベントといえば、やはり家出です。またいい家出小説が誕生しました。
父子家庭の一人っ子亀谷めぐるは、家事に協力的でない父親に愛想が尽きて、夏休みに家出を決行します。自転車で走っていると、川でやたらテンションの高いふたりの幼女がおぼれているのを発見。ふたりを救出しためぐるは、〈ぐるぐる〉というあだ名を勝手につけられて、ふたりの家に招かれます。
その家が謎だらけでした。〈亀田〉〈亀山〉というふたつの苗字が書かれた表札があって、家には〈夜パパ〉と呼ばれる男と〈朝パパ〉と呼ばれる男、ふたりのパパがいたのです。なりゆきでめぐるは、この家族としばらく生活をともにすることになります。
読了後、著者の名前を何度も確認しました。井上林子といえば、前作『宇宙のはてから宝物』で機能不全家庭の不幸をこれでもかと描いていた人です。それが今度は、ぬけぬけと家庭の幸福を描いてしまうとは、その振れ幅の激しさに驚愕しました。どちらに振れてもこれだけ深みのある作品を仕上げてしまえる力量には、おそれいるばかりです。
前作では、精神の病を抱える親やアルコール依存症の親がいる機能不全家庭の子どもの苦労が取り上げられていました。今回は父子家庭の子どもが主人公になっていますが、そのハンディキャップを弱者の共同体をつくることでひっくりかえし、幸福を得るという道筋が示されています。
幸福感がうまく表現されているのは、家族で料理を作る場面です。朝パパとふたりの幼女がそばを作るのですが、「ぐるぐるぐる」「まぜまぜまぜ」とかけ声を上げながら、ひどいしろものを作り上げます。柔らかすぎて箸でつまむとすぐ切れてしまうのに、細かくなったそばを見てベビースターみたいだと大喜び。そこに〈シュフ〉業を完璧にこなすめぐるの視点から突っ込みが入れられます。ここでめぐるの冷静さと幼女たちのテンションの高さとの落差が生まれ、この家庭の幸福感が強調されることになります。
ひとつ引っかかったのは、めぐるが駅で子どもの写真を見て〈デレデレ〉笑う男を見るところです。この直前にめぐるはコンビニで、ポルノ雑誌を〈ニヤニヤ〉笑いながら読む若者に遭遇し、「変な胸の高まり」を感じていました。この〈ニヤニヤ〉笑いと〈デレデレ〉笑いの連鎖により、家族愛と性愛が関連したものであるということを示唆しているのでしょうか。