『夏の朝』(本田昌子)

夏の朝 (福音館創作童話シリーズ)

夏の朝 (福音館創作童話シリーズ)

気がついたら原稿用紙3枚分くらい、賞の出し惜しみばかりしている児童文学ファンタジー大賞への批判を書いていました。とても他人様にお見せできる内容ではなくなってしまったので、簡潔にまとめます。数年前から児童文学ファンタジー大賞の過去の佳作や奨励賞の作品を積極的に出版するようにした福音館書店の方針転換は正解です。ぜひ続けて多くの作品を世に出してもらいたいと思います。
本題に入りましょう。どれだけこの日を待ったことか。第16回児童文学ファンタジー大賞で佳作になった『夏の朝』で、ようやく本田昌子が再デビューしました。端正な文章と端正な構成で小説を読むことの喜びを味わわせてくれる彼女に20年近くも作品発表の機会がなかったのは異常です。ぜひ彼女が正当に評価されることを望みます。
祖父の一周忌のために夏休みに母の生まれ故郷に赴いた莉子は、蓮の花のつぼみの中には人の『想い』がつまっていて、花が開くときに鳴る〈ぽん〉という音を聞いた者はその『想い』を受け取ることができるという不思議な話を、親戚の小夜子おばさんから聞かされます。その話の真偽を確かめるために莉子は、亡母にそっくりな佳乃おばさんとともに、主人を失ってもうすぐ処分されてしまうことになる家にしばらく滞在することにします。
冒頭では、手に持った提灯と一緒に揺れている祖父の後ろ姿を莉子が回想します。ここの簡潔かつ具体的で美しい描写だけで、本田昌子の筆力の高さを思い知らされます。
蓮の花が開くのを待ち構えていた莉子は、蓮の葉の通気孔から泡が出るのを見て、水が沸騰していると勘違いします。この幻想的な場面から夢とも現実ともつかない非日常の世界に一気に接続していく流れは、美しいとしかいいようがありません。
物語はタイムスリップSFになり、莉子は毎日過去の世界で祖父と過ごすことになります。それも、タイムスリップを繰り返すたびにどんどん過去に跳躍するという趣向になっています。そのため、祖父にとっての過去の莉子は、莉子にとっての未来の自分になるというすれ違いが起きます。
本田昌子が時間SFを得意としているということは、すでに『未完成ライラック』で証明されています。『夏の朝』もリリカルでしみじみと味わい深い傑作になっています。
ということで、福音館書店は可及的速やかに第14回奨励賞の『スコールでダンス』も出すように。そして岩崎書店は、『未完成ライラック』を再刊して続編の企画も立てましょう。