『ワカンネークエスト』(中松まるは)

小学6年生の加賀美琴は、おとーとの和樹を疎ましく思っていました。両親がなぜか病的におとーとをひいきしていたからです。そのおとーとが、ある日学校で起きた事件をきっかけに変わってしまいます。ゴーグル型のゲーム機にのめり込んで家族とも口をきかなくなり、ときおり「死ね」などという奇声を発するようになりました。
事件は昼休みの時間におとーとの教室で起こりました。教員が詳細を隠しているので、誰かが刺されたらしいという断片的な情報と、救急車でひとりの子どもが運ばれたということしかわかりません。美琴はおとーとが刺傷事件を起こしたのではないかと疑い、おとーとがオンラインRPGツクールでつくったゲームを自分もプレイしておとーとと接触しようとします。
ディスコミュニケーションがひどい閉塞した作品世界になっていて、中盤までは読むのがつらかったです。ひきこもりのようになったおとーととはもちろんまともに話はできませんが、おとーとのつくったゲームも、まともなチュートリアルもなくガイド役のクマのキャラクターとは会話がほとんど成立せず、いきなり強敵と戦わせるという不親切な仕様になっています。まさになにもかも「ワカンネー」という状況になっています。
さらにひどいのは両親です。両親はうわごとのように「ゲームが悪い」というだけで、問題に向き合おうとしません。やがて美琴は、両親が「ゲームが子どもをおかしくする」という「貧しいストーリー」にとらわれていることを知ります。つまり、現実を「ストーリー」として読み替えることの愚かしさや暴力性が作品のテーマとなっているのです。
以下、事件の真相についてぼかした書き方をしますが、ミステリ的な意外性がすばらしい作品なので、未読の方はできれば読まないでください。














しかし、学校の事件の真相がわかってからは、作品世界に光が差し始めます。この真相は意外性が高く、ミステリ的な興味で読んでいた読者には大きな驚きを与えてくれます。実際に起きた事件が元になっていますが、そこから発展させてこれから学校で起こりうる事態を扱っていて、ここに目を付けた中松まるははさすが慧眼だと思いました。
さて、この真相からある職業差別問題・労働問題が浮かび上がってきます。しかしそこには深入りせずに、美琴に「わたしたちに正確な知識をください。二度と貧しいストーリーをつくらないよう」と要求させます。この節度が、作品を非常にまっとうな児童文学にしています。
ただし、ラストですべてが解決するわけではありません。美琴の両親は最後までクズのままで、釈然としない読後感を残します。正しい認識だけでは現実は変えられないということをありのままに伝え、もやっとした余韻を残すところに、中松まるはの児童文学作家としての誠実さが表れています。