『文学少年と運命の書』(渡辺仙州)

文学少年と運命の書 (TEENS' ENTERTAINMENT)

文学少年と運命の書 (TEENS' ENTERTAINMENT)

少年時代の呉承恩が、本を食べる妖怪・玉策の下僕にされて苦労する話です。子どもながらすでに手に負えない書痴として名をはせてしまった呉承恩にとって、大事な本を勝手に食らう玉策は天敵のような存在です。その管理だけでも大変なのに、玉策の能力を利用しようとする悪者たちにも付け狙われるようになり、災難が続きます。
玉策は8歳くらいの童女の姿をしていますが、非常に毒舌です。本についてのうんちくが止まらなくなった呉承恩に対し、「うっとおしいぞ。阿恩(呉承恩)、おまえ、もてないだろ」と煽るといった具合。しかし、自分の持つ未来予知の能力や未来改変能力を使って献身的に人の役に立とうとする面もあり、だんだん呉承恩にとってかけがえのない存在になっていきます。
作中で頻繁に語られる少年呉承恩の文学論も興味深いです。たとえば『三国演義』のような物語が史実を離れ、その時代になかったような武器や戦略が使われたように語られることを、呉承恩は肯定します。そして、『三国演義』や『水滸伝』のような物語が様々な講談師の手によって改作されたものを統合して、「一を百にした物語」「講談の総集編」にすることを、「文を売る仕事」の重要な役割だとしています。そこでは著者の存在は重要視されず、自分が唐僧の西天取経の物語をまとめたとしても、著者として名を残すことに意味はないのだと語ります。

このような『一を百にした物語』は、歴代のすべての人びとが協力してつくりだしたと考えるべきです。(中略)これらは多くの人びとがつくりあげた、歴史が完成させた、それは皆の『物語』です。残さなければならないのは人名ではなく、物語です。
(p25)

このような文学観の実践編として、『文学少年と運命の書』の物語は語られます。「さまざまな物語をとりこみ、生まれ来る新しい生命の物語を書き記す」妖怪が体現する物語の姿は、物語と人生が切っても切り離せない関係にあることを示しています。