『時速47メートルの疾走』(吉野万理子)

時速47メートルの疾走

時速47メートルの疾走

短いプロローグで、衆人環視のなかひとりの子どもがさらし者にされるように逆立ちをさせられる場面が提示されます。その後、連作短編のかたちで、このような事態に至った経緯が語られます。
第1話の主人公は、中学校の放送部に所属する伊集院慶一。親が厳しく勉強をさせるため、学校の活動にあまり関われない彼でしたが、もともと高い能力を生かしてかげながら放送部やクラスをサポートする役割を引き受けていました。3年生になり、やるべき仕事はしっかりこなして何事もなく放送部を引退したいと望んでいた彼に、思わぬ災難が訪れます。
新入部員がいままでやっていなかったコンクールなどに出場したいと言い出しました。慶一は忙しくて参加できませんが、反対するつもりはなく、部員全員参加ではなく任意参加でやればいいと意見を言います。ところがすでに慶一以外の部員のあいだでは、慶一を排除するという申し合わせができていました。この言質を取られた慶一はやる気のない人間だと決めつけられ、全員に攻撃されます。放送部員は、慶一をやる気のない人間ということにして悪役に設定し、その悪役をたたくことで結束を固めていたのです。
自分にできる限りのことはしていたのに悪役にされてしまった慶一の絶望感がどれほどのものであったか、想像に難くありません。その他の短編も、自分の意に反して悪役を引き受けさせられてしまった子どもが主役になっています。「こいつが悪いことにすればすべてはまるく収まるんじゃね」という流れが集団のなかでできてしまえば、個人の力でそれにあらがうことはまず不可能です。誰にでも起こりうる悲劇がリアルに描かれています。
もちろん、主人公となる子どもの方にも、程度に差はあれ落ち度はあります。でも、子どもにも立場もプライドもありますから、誰も傷つかないような最善の選択肢を選ぶことは困難です。そんななかでさまざまな予防線をはりながら、可能な限りよい選択をしようとしますが、ことごとく失敗してしまいます。連作の形式で多角的な視点から子どもが失敗する経緯を白日の下に暴き立てる手つきがとてもいやらしいです。
読んでいると非常に憂鬱になるタイプの作品で、すばらしかったです。