『おひさまへんにブルー』(花形みつる)

おひさまへんにブルー

おひさまへんにブルー

那須正幹『ぼくらは海へ』や皿海達哉『チッチゼミ鳴く木の下で』、山中恒『ぐずのぶのホームラン』などに匹敵する、最悪の後味を残す問題作が登場しました。
8月から祖母の家に預けられ、2学期から新しい学校に通うことになっていた少年拓実は、祖母から留守番を言いつけられていたのにオイカワという少年に家に上がりこまれ、台所を荒らされてしまいます。祖母が猛烈な勢いで学校にクレームを入れに行き、そのオイカワの一家が近所で評判の札付きの問題家庭であったということがわかります。不登校傾向でなかなか学校に足が向かなかった拓実がその事件をきっかけにおそるおそる学校に行くと、オイカワの被害者ということであっけなく受け入れられます。この地域の人間はオイカワの一家を排除することで結束していたので、当面よそ者をいじめることには興味を持たなかったのです。
イカワの一家は窃盗などを繰り返す悪党として近所で忌み嫌われていますが、見方を変えれば彼らは支援を必要としている弱者です。オイカワの家庭は子だくさんの母子家庭で、本来であれば暮らしていけるだけの生活保護を支給されているはずなのに、子どもの父親らしい男にそれを取り上げられているのだと近所では噂されています。このままでは貧困が連鎖することは火を見るより明らかです。
そんなオイカワの一家に対応するのは、学校と警察だけです。不思議なことに、福祉を担当する人間の姿は見えません。これはもちろん作品のミスではなく、学校や警察に福祉の役割を押しつけ結局機能不全に陥らせている、この国の現状が反映されているだけです。
人は人を簡単に捨てることができます。親は子を捨て、子は親を捨て、そして社会・共同体は弱者を捨てます。このラストの重さは耐えられるものではありません。
そして、拓実も実は母親から捨てられているのです。拓実の父親と離婚した母親は、新しい男と暮らすのに拓実が邪魔になり、祖母に押しつけていました。拓海はその現実を認めていませんでしたが、オイカワの一件を経験することで現実と向き合えるようになります。これを少年の成長と受け取るのは、あまりにも苦いです。
出版社のサイトでは、この作品の特色を「上質なユーモア」であると紹介しています。たしかに、偏屈もののばあさんが学校のイベントでお化けのコスプレをして子どもの人気を得るとか、オイカワが捨てた財布を探すために校長ががけの下に降りていって、落ち葉にまみれてひどい目に遭い、ストレスから胃を壊して手術を受ける羽目になるとか、シチュエーションだけみれば大笑いできるようなものもあります。しかし状況が状況だし、文体も淡々としているので、かえって陰惨になって笑えません。
では、どこにユーモアがあったのかと考えると、もしかしたら「物語」をおちょくっているところにあるのではないかと思い当たりました。拓実の担任の若い先生は、かつて不登校だったオイカワを登校させることに成功しました。しかし、オイカワが来るようになってから校内で盗難が頻発するようになり治安が劇的に悪化してしまいます。先生はオイカワを学校に呼び寄せたことを後悔するようになり、かわいそうな子を助けるいい教師を演じるという彼女の「物語」は破綻します。
また、拓実の祖母は、オイカワの被害者になることで、その巨悪と戦う「物語」の主人公に自分を位置づけることができるようになり、生き甲斐を獲得します。しかしその姿は客観的に見れば、学校に無茶な要求をするモンスタークレーマーです。祖母視点の舞い上がり方と現実のギャップをあぶりだす記述はとても辛辣で、これはたしかにブラックユーモアとして成立しています。でもやはり、それを笑えというのは酷です。
とにかく、重苦しくてすばらしい作品でした。