『ケチャップ・シンドローム』(アナベル・ピッチャー)

ケチャップ・シンドローム (ハヤカワ・ミステリ文庫 マ 13-1 my perfume)

ケチャップ・シンドローム (ハヤカワ・ミステリ文庫 マ 13-1 my perfume)

ハヤカワ文庫の新しいレーベル内レーベル「my perfume」の第1弾。若い女性を取り込むために昭和女子大学の学生とコラボするという売り方は、非常に迷走している感じはしますが、出る作品が面白ければ文句はありません。
ケチャップ・シンドローム』は、2014年のエドガー賞ヤングアダルト部門受賞作で、カーネギー賞の候補にもなった作品です。イギリスの女子高校生ゾーイがアメリカの死刑囚スチュアート・ハリスに宛てた手紙で自分の罪を告白するという形式の書簡体小説になっています。彼女が語るのは、自分が二股をかけていた相手が兄弟であったことが発覚する問題、支配欲の強い母親に脅かされる家庭の問題などです。むこうのヤングアダルト小説らしく、複雑な人間関係の中で揺れる若者の心情を繊細なタッチで描いているところが魅力です。
特にゾーイの感性は独特なものがあります。ゾーイは木立のかげにある小屋にこもって手紙を書いており、ときおりそこから見える植物や虫の様子を報告したりします。そんなささやかな描写が印象に残ります。

この小屋が最高なのは、だれにも見られる心配がないことです。クモの複眼をのぞけば目はひとつもないし、クモはわたしなんか見やしません。それは窓枠のクモの巣にいて、ハエやなんかのことを考えながら、その目に銀色に映る半月や、木のシルエットや、クモなどをガラス越しに見つめているんです。
(p36)

さらに特徴的なのは、ゾーイのスチュアートに対する罵倒です。相手は死刑囚だから仕返しできないのをいいことに(架空の住所を書いて手紙を出しているので、返事を書くことすらできない)、スチュアートを罵りまくります。
たとえば、自分がスチュアートを手紙を送る相手に選んだ理由を誰からも手紙をもらったことがないからだと明かし、「運命の手紙をもらえてハリー・ポッターみたいでロマンチックですねwwwwww(意訳)」といやみを言ったり、なにか行事があるたびに「囚人のあなたには関係ありませんけどね!(意訳)」と煽ってみたり。自分がイケメンに強引に迫られた自慢をしたあとには、「あなたもそういう経験あるかもしれませんね。わたしは男性刑務所で起こることを知ってるんですよ。ぐへへへへ(意訳)」とひどいセクハラ発言までする始末。このゾーイのナチュラルな悪意はどこから来るのか、気になります。
一方、スチュアートの方は死刑囚ですから状況に介入することはできませんし、そもそもこの手紙はことがすべて終わってから書かれているので、どうしようもありません。スチュアートは言葉を奪われ何重にも疎外されています。それは一般的な〈読者〉の置かれている状況と同じだと考えてもいいかもしれません。
この物語を読んで感じるのは、イギリスの若者とアメリカの死刑囚の距離の遠さです。死刑廃止国の若者からすれば、アメリカの死刑存置州の死刑囚は、サバルタンのように見えるのかもしれません。
本の巻末には、本の作成に協力した昭和女子大学の学生による座談会の模様が収録されています。奇妙なことに、はじめの設定説明を除いて彼女たちは死刑囚に一切言及しません。なぜ彼女たちには死刑囚が「見えなかった」のか。そのあたりにこの作品の謎を解く鍵がありそうです。