『キキに出会った人びと  魔女の宅急便 特別版』(角野栄子)

2009年に全6巻で完結した「魔女の宅急便」シリーズの特別版。厳しい境遇にあってもたくましく生きる脇役たちの姿が描かれていて、まさに〈人生〉こそが、シリーズのテーマであったことがわかります。
第1話の「ソノちゃんがおソノさんになったわけ」では、キキがお世話になったグーチョキパン屋のおソノさんの幼少期から結婚するまでのエピソードが語られます。パンやパンやというパン屋を営んでいたソノちゃんの両親は、まだ小さいソノちゃんを残して立て続けに亡くなってしまいます。孤独になったソノちゃんはよその街をさまよい、やがて故郷のコリコの町に戻って新しいパン屋グーチョキパン屋を開きます。
おソノさんが強く生きていけたのは、大人になったからではありません。大人になった自分の中に幼少期の自分を住まわせていることに気づいたから、一人で歩き出す力を得ることができたのです。グーチョキパン屋の店名の由来を知った読者は、きっとおソノさん(ソノちゃん)と一緒に、手をグーのかたちに握りしめることになるでしょう*1
ヨモギさんに起きたこと」では、シリーズの中でも特につらい人生を歩んできたヨモギさんが主役になります。芸術家の息子に先立たれて天涯孤独になり、生きる意味を見失っていたヨモギさんは、故郷の砂漠の村トラ・トカラ村に帰って、幼なじみだったサボテンの化け物トゲコちゃんと再会します。ここでも、大人と幼年のつながりが重要な要素となっています。
ここで、シリーズ中のヨモギさんをめぐるエピソードを振り返ってみましょう。彼女の初登場は「その4 キキの恋」でした。大きな木がトンネルのように並んでいる「夕暮れ路」の中にある小さな家に住んでいるヨモギさんと仲良くなったキキは、庭でたびたびおしゃべりをする関係になります。キキは知りませんでしたが、家の中には病気で余命幾ばくもない息子のセンタさんがいて、自分の最後の作品としてキキとジジとヨモギさんが庭のテーブルでくつろいでいる絵を描いていました。センタさんが亡くなったのち、ヨモギさんも姿を消して、完成した作品をキキに受け取ってもらいたいというヨモギさんの手紙と絵が残されていました。
「その4」は青春を謳歌するキキが描かれている一方で、シリーズ中もっとも死の影の濃い作品になっています*2。とりわけこのヨモギさんとセンタさんのエピソードは、重苦しいものになっています。
しかし、このエピソードは単純に美談としては受け取れません。あえて辛辣にヨモギさんを紹介すると、息子の窃視の手引きをする母親だという言い方をすることもできます。そういった不気味さも含めて、キキの青春に厚みを与えるエピソードとなっています。
センタさんの死後砂漠の街に戻ったエピソードが、特別版の「ヨモギさんに起きたこと」です。さらにその後「その6 それぞれの旅立ち」で、ヨモギさんは息子が最期を迎えた町で残りの人生を過ごす決意で、再びコリコの町にやってきます。時系列では、「その4」特別版「ヨモギさんに起きたこと」「その6」の順番になります。
「その6」では、キキの息子で男子なのに魔女になりたがっているトトに、ヨモギさんを仲立ちとしてセンタさんが人生の指針を与えることになります。トトはセンタさんの「これからをまつひと」という言葉に囚われて悩みます。
センタさんと並んでトトの道しるべとなるのは、「その3」の重要な登場人物であったケケです。そのふたりがそろってトトの前に直接姿を現さず文字だけを通してコミュニケーションをとる〈見えないもの〉として設定されていることも、このシリーズらしいです。
トトはほうきで空を飛べないことに悩んでいますが、今回「ヨモギさんに起きたこと」のエピソードが公開されたことで、実は「その6」時点のヨモギさんは魔法の力がなくても空を飛ぶ方法を知っていたのだということが明らかになります。この痛烈な皮肉、人生とはなんとままならないものか。
とりとめのない話になってしまいましたが、新たなヨモギさんのエピソードなどを参照することで、シリーズの読みの可能性がさらに深まってきたことは確かです。まだまだ「魔女の宅急便」シリーズの深さには全然手が届きません。再読を繰り返すたびに新たな発見を得られることを、これからも楽しんでいきたいです。

*1:「子どもたちよ、子ども時代をしっかりたのしんでください。おとなになってから、老人になってから、あなたたちを支えてくれるのは、子ども時代の「あなた」です」という石井桃子の言葉が思い出される。

*2:ふたつの対立するものの綱引きをスリリングに描いているところも、「魔女の宅急便」シリーズの、魅力のひとつである。見えるものと見えないもの(魔女は見えない世界を体現する者だとされている)、伝統と改革(主に魔女の伝統に関するもの)、孤独と連帯(「その4」において、恋を求めるキキが「おとなは、ひとりで行くんだよ」というメッセージを与えられることが印象的)。シリーズでは多くの場合どちらか一方を否定するのではなく、どちらにも豊穣な世界があるとしている。