『ハーフ・バッド』(サリー・グリーン)

ハーフ・バッド―ネイサン・バーンと悪の血脈 (上)

ハーフ・バッド―ネイサン・バーンと悪の血脈 (上)

ハーフ・バッド―ネイサン・バーンと悪の血脈 (下)

ハーフ・バッド―ネイサン・バーンと悪の血脈 (下)

昨年見落としていた翻訳ファンタジーを。世界各国で翻訳されて大人気で映画化も決定しているとか、52歳の新人作家のデビュー作がいきなり大ヒットして第2のハリー・ポッター扱いされているとかいう派手な触れ込みの作品です。評判どおりの傑作なので、日本ではまだあまり話題になっていないのがもったいないです。
舞台は現代のイギリスですが、そのなかにwitchがまぎれこんでいるという設定になっています。witchは白のwitchと黒のwitchに分かれて壮絶な抗争を繰り広げていました。主人公のネイサンは、白のwitchの母親と黒のwitchのなかでももっとも凶悪とされているマーカスという男のあいだにうまれた子どもなので、白のwitchのなかで激しい差別を受けています。witchの子どもは17歳になると儀式を受けなければ魔法の力を得ることができず、そればかりか命まで失ってしまうのですが、白のwitchの委員会は白と黒の両方の血を持つ〈半コード〉への差別を年々厳しくし、ネイサンは儀式を受けることすら困難な状況に追い込まれます。
作品の冒頭は、ネイサンが檻に閉じ込められて虐待されている場面になっています。ここが〈きみ〉に語りかける二人称形式のようになっているので、読者はとまどわされます。これはどうも、極限状態に置かれて精神が錯乱したネイサンが自分に対して〈きみ〉と呼びかけているという仕掛けになっているようです。こうした細かい工夫によって、追い込まれた主人公の苦悩が臨場感をもって読者に迫ってくるようになっており、なかなか読ませます。
ネイサンは決して孤独ではありません。理解のある家族に恵まれていますし、アナリーゼという白のwitchの恋人もいます。しかし、このような絶望的な状況下では、孤独ではないということは安心材料になりません。いつ信頼している人が裏切ったりスパイになったり、あるいは人質に取られたりするかもしれないという不安の方が大きくなります。
そんななかで清涼剤となっているのが、ネイサンの協力者となるガブリエルという少年の存在です。変身能力を持っているのに、うっかり魔力を持たない人間(〈フェイン〉と呼ばれる)に変身したため魔力を失って元に戻れなくなってしまったというお茶目な子です。ガブリエルは初対面のときからネイサンへの熱烈な好意を表し、アナリーゼの話題になると目に見えて不機嫌になってしまいます。
英語のサイトで評判をざっと調べたところ、ガブリエルは英国のBLを嗜む女性のあいだで大人気で、逆にアナリーゼは毛嫌いされているようです。これでもし、最終的に実はガブリエルが裏切り者だったという展開にでもなったら、阿鼻叫喚になりそうです。
ということで、たいへんおもしろい作品なのですが、翻訳には一点疑問があります。原書では、魔法を使う者は性別に関係なくwitchと表記されています。しかし田辺千幸訳では、〈魔使い〉という造語*1で訳されています。著者はインタビューで、〈wizard〉という表現を意図的に避けたと語っています。〈魔使い〉という意味のわからない訳では、その意図が見えなくなってしまうおそれがあります。そのため、このブログではwitchと表記したことをお断りしておきます。

*1:金原瑞人・田中亜希子訳のジョゼフ・ディレイニーのファンタジーに「魔使い」シリーズというのがあるが、これとは意味がまったく異なる。