『すべては平和のために』(濱野京子)

すべては平和のために (文学のピースウォーク)

すべては平和のために (文学のピースウォーク)

「あなた方は、平和を望んでいますか?」
「いったいなんだい? その平和って。」
(p125)

グローバル企業が世界各地の紛争の調停を行い、世界平和を目指しているという近未来を舞台にしたディストピアSFです。そのグローバル企業の系列会社である〈平安コーポレーション〉の社長令嬢平井和菜が主人公を務めます。彼女は南洋の島国アイロナ共和国からの独立を目指すマナト特別市の要請を受け、紛争の調停に乗り出します。正体不明のテロリスト〈モロフ氏〉が暗躍するアイロナで彼女が目撃したのは、日本にいては想像もつかないような光景でした。
この世界における平和の白々しさを即座に読者に印象づける導入がうまいです。白々しいタイトルを掲げ、〈平安コーポレーション〉の白々しい企業理念を冒頭に配置することで、この作品世界の〈平和〉がいわゆる〈平和〉ではないのだということがすぐに理解できるようになっています。主人公の名前も意味深長で、〈平井和菜〉の名前を並びかえると〈平和ない〉、その兄〈平井和也〉を並べかえると〈平和いや〉となります。ここで父社長の願望を暗示しているあたり、芸が細かいです。また、令嬢がご学友と語り合う序盤の場面で、この近未来は格差社会を通り越してもはや身分制になっているということをさりげなくほのめかしているのもいやな感じです。
この作品は、上野瞭の「ちょんまげもの」をひっくり返したような構造になっています。上野瞭が現代を過去のディストピアに仮託して語ったのに対し、『すべては平和のために』は現代を近未来のディストピアとして語っています。この手法が高い娯楽性を持つということは、上野瞭が証明しているとおり。徐々に明かされる世界のディストピア感におののきながら、読者は先へ先へとページをめくることになるでしょう。