『きかせたがりやの魔女』(岡田淳)

きかせたがりやの魔女

きかせたがりやの魔女

〈学校の時間〉はとまっている。話を聞いてくれるだけでいい。あんたの権利はまもられている。ふゆかいなことはおこらない。いやならいつでももとにもどれる。ひとこと、いやだといえばいい。

小学5年生の「ぼく」は、人語を解するクロツグミを従えた定年退職した魔女と学校で出会い、彼女から魔女と魔法使いと学校にまつわる不思議な話を聞かされます。魔女や魔法使いはそれぞれの手柄話や失敗談にちなんだあだなを付けられていて、それが各エピソードのタイトルにもなっています。「ヒゲの魔女」「タワシの魔女」といったタイトルをみるだけで、どんな魔女や魔法使いが登場するのか期待感を煽られます。物語の流れとうまくリンクするように配置されているはたこうしろうのイラストも楽しく、レベルの高い娯楽読み物になってます。
岡田淳は語りと騙りの技法に精通している作家で、巧みに読者を幻惑してくれます。その代表例が、信頼できない語り手が登場する『竜退治の騎士になる方法』です。わたしはこの物語の真実をいまだに見抜けないでいるのですが、困ったことに『きかせたがりやの魔女』の語り手は『竜退治』以上のくせ者で、悩みが増えてしまいました。
語り手の「ぼく」は、魔女と出会った小5のときから20年以上たってからこの物語を書いたと述べています。そして前書きで、聞いた話をそのまま書いたわけではないとわざわざ断っているのです。
第4話の枠外の物語で、「そりゃまあ、たしかに、リミコは、シンタがつまずくように足をだしたよ……。」と魔女が語り出すと、「ぼく」は話を遮ってその語りがあまりに口語的に過ぎると指摘します。まもなく始まる枠内の物語では、「ぼく」がしれっと魔女の語りを添削していて、「それはたしかに、リミコはシンタがつまずくように足をだした。」と修正されます。このようにあからさまに物語が書きかえられていることを示唆していることには、どのような意図があるのでしょうか。
物語の最後に横文字の言葉が出てきて、魔女がしたかったことの正体が明かされます。それを参照すると、はじめに引用した魔女が物語を始めるときの決め台詞も、謎めいたものではなく現実的な意味を持ったものであったのだということが理解できます。しかしそれを素直に受け取っていいのどうか、判然としません。
確実にいえそうなことは、どうしようもなく嘘つきな「ぼく」と「きかせたがりや」の魔女は、互いが互いにとってミューズであったということです。