『飛び込み台の女王』(マルティナ・ヴィルトナー)

飛び込み台の女王 (STAMP BOOKS)

飛び込み台の女王 (STAMP BOOKS)

落下とはすなわち、死に向かう運動にほかなりません。飛び込み台の先に待っているのは、墜落死か水死です。
2014年のドイツ児童文学賞受賞作。スポーツ・エリートのための体育学校で飛び込み競技をしているふたりの少女の物語です。
ナージャとカルラは家が隣同士で幼いころから一緒に行動していました。カルラは存在感のない子でしたが、競技の技術は突出していて、飛び込みをしている姿は誰よりも魅力的でした。ナージャは安定感のある選手でしたが、カルラに心酔していて、自分がカルラに勝とうなどという野心は全然持っていませんでした。
いつもカルラに従い、お菓子を買ってあげたり水着まで買ってあげたりするナージャは、客観的にはカルラの下僕のようにみえてしまいます。しかしナージャはその立場に満足していて、周囲からなんと言われようとも気にしません。ところが、カルラの母親に恋人ができて家庭環境が変わってきたことから、ふたりの関係も次第に変わっていきます。この人間関係の緊迫感が絶妙に味わい深いのです。
ナージャはカルラ以外にはまったく興味を持たず、カルラに依存しきっています。ナージャはスポーツすら「不合理」だと思っています。ナージャには生えかけた陰毛を切る癖がありますが、「そんなことをしても意味がない」ということは重々承知していて、「だけど意味がないことはたくさんある」という見解を披露します。ナージャの深い虚無感と、それを埋めるカルラという存在の重さ、思春期の心の揺れが淡々と語られていきます。
友情・努力・勝利・熱血・根性といったスポーツものの物語に求められる要素が極端に薄いところが、この作品の特徴です。スポーツものの物語というよりも、シリアスなSFを読んでいるような気にさせられます。この学校はスポーツのための学校ではなく、侵略者と戦う少年兵を養成するための訓練校で、過酷な訓練から脱落すれば死、課程を修了しても戦死が待っているというような印象です。
そう感じられるくらい、この作品には死の気配が濃密に漂っています。なにしろ飛び込み用のプールは修理中で水がなく、それを見た生徒が「ここに落ちたら、どうなると思う?」「半身不随になるか、死ぬか」という不穏な問答をしているのです。練習中の事故で頭部から出血した生徒は、恐怖感を克服できず脱落していきます。体育学校という箱庭(宮川健郎の論に倣うなら、ここは「箱庭」ではなく「箱舟」と表現すべきだろうか)のなかには、死しかありません。
以下、作品の結末にふれるので、未読の方は読まないようにお願いします。



















最終的にカルラは学校から去り、ナージャは学校に取り残されます。一般的な成長物語の文脈でいえば、箱庭から外の世界に旅立ったカルラの選択の方が正しく、箱庭のなかに残ったナージャはいずれ死ぬしかないと読めます。もちろんその正しさは、一般的な成長物語の文脈での正しさに過ぎず、そうした価値観を否定した児童文学の傑作はたくさんあります。
物語の終盤に、カルラはナージャに自分の見た夢の話を語ります。その夢のなかでカルラは、重くなって背負えなくなったリュック(才能の象徴)を、ナージャに託します。リュックを手放したカルラは外の世界に旅立ち、ナージャは箱庭のなかで勝ち残るすべである才能を手に入れます。
この取引は、双方にとってメリットのあるものだったのでしょうか。そもそもカルラが飛び込みに行き詰まる原因を作ったのはナージャなのですから、すべてナージャの計画通りであったのではないかという、非常にひねくれた見方もできます。しかし、リュックに入っている才能は祝福なのか呪いなのか、それすらも判然としません。
確実にいえるのは、愛と裏切りの甘美な関係性に酔いしれることがこの作品の楽しみ方であるということです。